書評

2016年6月号掲載

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訳者泣かせの過剰ぶり

The Great American Novel
Roth, Philip

上岡伸雄

対象書籍名:『素晴らしいアメリカ野球』
対象著者:フィリップ・ロス/中野好夫・常盤新平訳
対象書籍ISBN:978-4-10-220041-4

 フィリップ・ロスの訳者の一人という立場で言わせていただければ、ロスは「訳者泣かせ」の作家である。とにかく過剰なのだ。言葉もアイデアもどんどん溢れてくるのだろう。それを勢いに任せて書いているところがある。才能溢れる文章を読むのは楽しいのだが、訳すとなると「もうちょっと簡潔に言ってくれないかな」と思うこともある。
 そんなロスの過剰ぶりが最もよい形で発揮されたのが本書だろう。ユダヤ系アメリカ人としての自己を追究することが多い彼の作品の中では、異色の野球小説。それも、アメリカ大リーグに第三の「愛国リーグ」があったという法螺話だ。第二次世界大戦中、愛国リーグのマンディーズは本拠地の球場を軍事施設として差し出し、放浪球団となる。この貧乏球団に残っているのは試合中も居眠りばかりしている五十二歳の三塁手、しらふでは打てない三番打者、十四歳で身長五フィートの二塁手、塀に激突してばかりいる外野手、ベンチで孫自慢をし合う控え選手たちなど、変な選手ばかり。その突拍子もなさと、そこに一人だけ天才的バッターがいるという設定がたまらなくいい。
 こういうおかしな選手たちのエピソード(下ネタもいろいろあり)を笑って読むだけで充分に楽しめるのだが、この小説はさまざまな方向への広がりも見せる。たとえば、愛国リーグが廃止され、歴史からも抹消されたのは共産主義者が入り込み、リーグの破壊を企てたからだとされる。野球をお笑い草にして潰そうとしたソ連の陰謀によるのだが、こうした騒動を通してソ連との冷戦、赤狩り、ユダヤ人や黒人に対する差別意識、公民権運動など、アメリカの現実を照らし出している。
 そしてまた、本書の原題が The Great American Novel だということにも触れなければなるまい。「偉大なアメリカ小説」を標榜する本書は、野球というアメリカ文化の重要な一側面を取り上げ、もてあそぶことで、アメリカ自体を描くという壮大な試みである。過剰な言葉遊びの名手でもある語り手のワード・スミスは『白鯨』や『ハックルベリ・フィンの冒険』といったアメリカ文学の名作(どちらも一人称の語り手による法螺話的な側面を持つ)に言及しつつ、ヘミングウェイに「偉大なアメリカ小説とは?」といった文学談義を挑む。とすれば、この小説自体が「偉大なアメリカ小説」のパロディとも言えるのだ。
 こうしたユーモアや風刺の切れ味を充分に味わうには、実はけっこう背景的な知識がいる。自分自身が最初に読んだとき、どれだけわかっていたのか心もとないのだが、今回の新潮文庫版には柴田元幸氏が丁寧な注をつけてくれているのだ! その注を読んで隠れた意味まで知ると、この小説の面白さと深さが改めてよくわかるはずである。

 (かみおか・のぶお 学習院大学教授、翻訳家)

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