書評
2016年7月号掲載
蓮實重彦『伯爵夫人』刊行記念特集
情欲と戦争
元東大総長にして話題の新鋭作家による本年度三島由紀夫賞受賞作――。
この優雅で退嬰的で巧緻極まる長篇小説を筒井康隆、黒田夏子、瀬川昌久の三氏が読む。
対象書籍名:『伯爵夫人』
対象著者:蓮實重彦
対象書籍ISBN:978-4-10-100391-7
江戸切子のグラスで芳醇なバーボンをロックで飲んだ。そんな読後感の作品である。
主人公の二朗は旧制の高等学校に通い東大を目指している晩稲の青年で、作中にも暗示されるプルーストの少年時代のように、女性と抱擁しただけで射精してしまうという純真さだ。時代は戦前、舞台は主に帝国ホテル。ロビーに入ると「焦げたブラウン・ソースとバターの入りまじった匂い」が漂ってくるというあたりでたちまちかの良き時代に引き込まれてしまう。タイトルの「伯爵夫人」も貴族でありながら突然傳法肌になったりして驚かせてくれる。ここから先は二朗や伯爵夫人その他の人物の回想との入れ子構造になっての展開となるのだが、挿入されるのは丸木戸佐渡ばりの情欲場面と、憚り乍らわが「ダンシング・ヴァニティ」が先鞭をつけた繰り返される戦争場面である。
奇妙で魅力的な人物が次つぎと登場するのが嬉しい。宝塚かSKDかという男装の麗人だの、友人の濱尾が投げたボールをワンバウンドで股間に受けてしまった二朗を介抱してしきりにその金玉を弄(いじ)り回したがる女中頭や女中たちだの、正体は伊勢忠という魚屋のご用聞きなのだが病的に変装が好きな男だの、名前だけだが「魔羅切りのお仙」だの「金玉潰しのお龍」だのが出てきて笑ってしまう。他にもヴァレリーや吉田健一や三島由紀夫の陰が見え隠れする。当時はボブ・ヘアと呼ばれていた断髪の従妹蓬子も魅力的だが、そのスタイルで有名だったルイーズ・ブルックスよりも、キャラクターとしてはクララ・ボウに近い。さらに嬉しいことには懐かしい映画や俳優たちが続出。伯爵夫人に出逢う最初のシーンで二朗はアメリカ映画の「街のをんな」を見てきたばかりなのだが、伯爵夫人と抱き合う時にその演技をなぞるケイ・フランシスとジョエル・マクリーの主演者に加えて往年のギャングスターであるジョージ・バンクロフトまで登場させているので笑ってしまう。この二朗はずいぶんと映画好きで、全部上映すると六時間かかるという気ちがいじみたシュトロハイムの「愚なる妻」まで見ている。シュトロハイムが偽伯爵を演じた故の連想である。情欲場面ではヘディ・キースラーが絶頂に達する演技で有名になったチェコの映画「春の調べ」(原題「エクスタシー」)を思い出したり、戦争がらみでは主演ヘレン・ヘイズ、ゲイリー・クーパー、アドルフ・マンジュウの「戦場よさらば(武器よさらば)」が出てきたり、なんと無声映画時代の小津安二郎「母を恋はずや」における吉川満子の母と大日方伝の兄と三井秀男の弟との微妙な確執が死んだ兄の思い出に繋がったりもする。さてこの辺で、いったいこの話、時代はいつなのか、二朗の年齢はいくつなのかという疑問に囚われる。というのも前記の映画はいずれも昭和六年から十年あたりに公開されたものであり、そして二朗が一日の記憶を語った最後、「ふと夕刊に目をやると、『帝國・米英に宣戰を布吿す』の文字がその一面に踊っている」、つまり昭和十六年十二月八日なのである。ここでやっとこの一篇、目醒めたばかりの二朗が一瞬にして思い出した夢だったのだなと納得するのだ。
戦争と愛欲の場面が入れ子構造の中で交錯するうち似たような表現が繰り返され、金玉に打撃を受けるたびに「見えているはずもない白っぽい空が奥行きもなく拡がっているのが、首筋越しに見えているような気が」し、そしてまた「ぷへー」とうめいて失神するのはエクスタシーの場合と同じで、ホテルの回転ドアは常に「ばふりばふり」と回っている。前記わが「ダンヴァニ」で用いて自信がなかった繰り返しが他でもないこの作者によって文学的になり得た上、しかも笑いさえ伴うのだと教えられ、安心させられた。
たとえいつの時代を描こうと小説作品は常に現代を表現している。作者が現代に生きているのだから何を書こうがそうなのだ。大正時代から昭和初期にかけて性的頽廃が徐徐に充満しつつあったあの時代の中、次第に軍人や憲兵の姿が何やらきな臭く彷徨しはじめ、そして破滅に繋がる戦争へと突入していくのはまさに現代に重なる姿であろう。そしてあの時まだ子供だった小生が楽しくエノケン映画を見ながらも、近づいてくる戦争に、戦争は悪いものなどとは夢にも思わずなぜか胸ときめかせわくわくし、面白がっていたことが今のように思い出されてならないのだ。
(つつい・やすたか 作家)