書評
2016年8月号掲載
戦争を支えた「官僚」の物語
――NHKスペシャル取材班/北博昭
『戦場の軍法会議 日本兵はなぜ処刑されたのか』(新潮文庫)
対象書籍名:『戦場の軍法会議 日本兵はなぜ処刑されたのか』(新潮文庫)
対象著者:NHKスペシャル取材班/北博昭
対象書籍ISBN:978-4-10-128378-4
この本は、太平洋戦争末期のフィリピンにおいて逃亡者と見なされた日本陸海軍の兵士たちが、平時の基準に照らして正当とはいえない裁判で処刑されていった事実と、戦後の遺族や軍法務関係者たちの足跡を、NHKの取材班が裁判に関与していた海軍法務中佐・馬塲東作の遺した資料やインタビューから明らかにしたものである。
よく知られているように、太平洋戦争で投降して捕虜となった日本軍将兵の数は少ない。私は趣味で戦争中の米軍が飛行機から撒いた降伏勧告ビラを集めているが、そこには生きて日本の再建のため尽くせ、などといった正論、食べ物をやるといった殺し文句が書いてあり、兵士たちも隠れて読んだはずである。にもかかわらず、少ない。これはなぜだろうか。
その答えの一つは、本書が余すところなく明らかにしているように、投降者は軍刑法の奔敵罪(敵に寝返る罪)で死刑を含む厳しい処罰を下され、故郷の家族も周囲から苛酷な国賊扱いを受けるからである。
馬塲の資料自体はすでに研究者の手によって公刊されていたものだが、取材班はどこまでも体験者・遺族をはじめとする関係者の証言にこだわり、各地へ取材を進めていく。戦争末期、補給を断たれて飢えた兵士たちは食糧を探しに隊を離れたのだが、そのことが惨憺たる敗北の中で軍紀(軍の規律)引き締めにやっきとなった軍上層部によって問題視され、軍法会議での死刑判決という、当時の法に照らしても不当な処罰、いわば見せしめとなったのである。
本書では取材の過程が淡々と回顧されているが、実際にはできれば忘れたい、肉親の名誉を守りたい、とする遺族・関係者たちとの間にさまざまな葛藤、辛苦があったことと思う。改めて取材班に敬意を表したい。
そのうえで、一読して感じたことを述べる。一つは、本書の主人公とも言える馬塲の描き方についてである。本人の話によれば、「軍の行動に不信感を抱き、何より戦争を憎み、法の正義を守るために」軍の法務官となったというが、興味を引かれるのは、馬塲が一九三二(昭和七)年、東京帝大法学部を卒業しながら高等文官試験に落第して一年間無職となった後に就いた軍の法務官という地位とは、当時の帝大エリートにとってどのようなものであったのか、という点である。序列と競争、立身出世意識の支配する官僚養成機関・帝大法学部において、それは本当に魅力や威信のある地位だったのだろうか。帝大エリートたちの軍人嫌いはよく知られている。
もしかしたら、馬塲にとって、軍とはある種の一発逆転の場所だったのではないだろうか。そう邪推すると、彼が開戦後、軍上層部の意に沿って文官だった法務官の武官化作業に尽力した理由、転任地のフィリピンで同じく上の意に沿って"心ならずも"厳しい判決を出した理由もわかる気がする。
もう一つ興味を引かれたのは、馬塲がフィリピンから自らの業務に関する多くの文書資料を持ち帰ってきた理由である。本書では法律家としての良心のとがめ、歴史の教訓といった理由が示唆されている。しかし私は、そうだろうか、馬塲にとってそれらは「あれは上の指示だった」と自らの無罪を証明してくれる、したがって絶対に手放してはならない後日の「証拠」文書だったのではないか、とまたしても邪推してしまう。敗戦後、多くの日本軍将兵が連合国から戦犯として裁かれ、死刑や終身刑となっていたことに留意すべきである。日々文書を処理するのが仕事のエリート官僚・馬塲は、本能的に「証拠」の大事さを知っていたのではないだろうか。
そうだとすれば、兵士たちの無残な死、遺族の苦しみが本書のような形で明らかにされ、後世に残ることとなったのは、官僚ならではの保身意識のおかげだったという、いささか皮肉なことになる。私は、戦後酒を飲んで「どんな戦況でも、法令遵守は貫いた、と力説していた」という馬塲に「官僚制」を感じてならないのであるが、厳しすぎるだろうか。
総じて本書は、戦争という巨大な暴力的営みが、平凡な官僚の保身意識に基づく組織への献身なしには遂行し得ないという、ハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』にも相通ずるテーゼを浮き彫りにしたように、私には読めた。
(いちのせ・としや 埼玉大学教授)