書評

2016年8月号掲載

中井祐樹という生き方

――増田俊也・中井祐樹『本当の強さとは何か』

夢枕獏

対象書籍名:『本当の強さとは何か』
対象著者:増田俊也・中井祐樹
対象書籍ISBN:978-4-10-330072-4

 一九九三年くらいから中井祐樹の試合は観戦していたはずなのだが、ぼくにとって彼が特別な存在になったのは、一九九四年九月二十六日、後楽園ホールでやったブラジル人アートゥー・カチャーとの試合からである。ぼくはその日、会場でその試合を見た。そしてその試合によってようやく、ぼくは中井祐樹という格闘家の特異点に気がついたのであった。
 というのも、その前年一九九三年十一月十二日、アメリカのデンバーにおいて、当時にあっては異形の格闘技「アルティメット大会」が始まっていたからである。この大会の第一回目の試合が開催される半年くらい前から、ぼくは主催者であるホリオン・グレイシーと連絡をとりあっていて、
「ふたりの男が金網の中に入ってゆき、ひとりの男が出てくる」
 という刺激的なキャッチコピーを知らされていたのである。この試合、なんと眼への攻撃と噛みつきだけが禁止で、あとは全ての攻撃がルール上、許されていた。体重制限もなし。このルール、なんと古代オリンピックで行われていたパンクラチオンという競技とまったく同じであった。この「アルティメット大会」は、前記した中井対カチャー戦までの間にすでに三回開催されていたのである。
 このルールで、ブラジリアン柔術出身のバーリトゥーダーや、身体の大きな外国人選手にどうやったら日本人が勝てるのか。そんなことを自分なりに考えあぐねていた時期に中井祐樹という答えをぼくは発見したのである。
 この試合でアートゥー・カチャーに中井祐樹が引き分けた。そして、我々は中井祐樹の出身母体となった七帝柔道(当時は高専柔道として紹介された)という異形の柔道――柔術の香りを色濃く残した競技の存在を知ることになったのである。
 中井祐樹という人間の大きな徳は、いつでもオープンマインドであるということだ。かつては、格闘技の団体が違えば、交流はほとんどなかった。選手どうしは団体が違っても仲がいいというケースはあったものの、ある団体の選手が他団体のリングに上がるということはほとんどなかったと言っていい。その垣根は今はかなり取りはらわれていて、多くの選手が、幾つもの団体のリングに上がることができる状況が生まれている。このことの最大の功労者は中井祐樹である。中井祐樹の顔は、どの格闘技団体の試合会場に行ってもあったし、大道塾という空手(現在は空道と呼ばれている)団体の試合会場にも中井祐樹の顔があった。
 そのことの意味が、本書を読むことによってあらためて読み手に伝わってくる。それは聞き手が、七帝柔道の先輩である増田俊也であるというところが大きい。増田俊也であるからこそ引き出せた話や、中井祐樹の本音に近い話が少なからずある。
 ぼくにとって、それは、
『「UFCチャンピオンになります」って言っても絶対になれないです。絶対無理です。「UFC出たいです」、出れないです。絶対無理です。20回くらい防衛して、アメリカで大スターになって、アメリカの舗道に手形を残すスーパースターになってる自分を描くぐらいの突き抜けた練習量、突き抜けた非合理的な努力をしないと絶対に無理です』
 と中井祐樹が言うあたりである。その一方でまた、
『でも人が上手くなるってそういうことじゃないですよね。何年間で結果が出るっていうものじゃないですよ。そういう意味ではオリンピックとか厳しいですけど、でも本当に本質的なことを考えたら、そういうものじゃない。その人の完成が4年間じゃなきゃいけないっていうわけじゃない』
 このようにも語っているのである。
 本書でも語られているが、今日、柔道ルールは、オリンピックに偏りすぎている。柔道はもう伝える者がほとんどいなくなりつつある古流柔術に対して責任を負っていると思うのである。オリンピック柔道をやる一方で、そういう古流の技術や精神を伝えてゆくルールで、せめて二年に一回ずつくらいは試合を開催してくれないものか。試合がないと技術は忘れられてしまうものだからである。
 格闘家であるぼくの友人が言った言葉がある。
「試合前の稽古って辛いんですよ。でもすごく充実してるんです。このごろはようやく、試合のために稽古をするんじゃなくて、この充実した時間のために試合があるんだって思えるようになりました」
 本書はつまり、人の生き方、志についての本であったというのが読んだ実感である。

 (ゆめまくら・ばく 作家)

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