書評
2016年9月号掲載
『室町無頼』刊行記念特集
室町小説の誕生
――垣根涼介『室町無頼』
対象書籍名:『室町無頼』
対象著者:垣根涼介
対象書籍ISBN:978-4-10-132978-9/978-4-10-132979-6
カキネさんという方から、編集者を通じて、小説執筆のために足軽や室町時代について話が聞きたいとの依頼を受けたのは、確か三~四年前のことだった。ネットで検索してみると、現代のアウトローを題材に小説を書かれている方で、それらのうちのいくつかは、テレビドラマ化もされている。垣根涼介さんが流行作家であることはすぐにわかった。
最初に私の職場でお会いした際、赤いシャツを着て、同伴した背の高い編集者を「ノリオちゃん、ノリオちゃん」と連呼して来られた様子は、こちらが想像する業界人の姿そのものだったが、実際に依頼された仕事内容は少々、予想とは異なっていた。私に求められているのは、小説の舞台の小道具としての史実の提供であり、有り体にいえば、裃(かみしも)をつけた現代劇の裃の調達役だと思っていたからである。
ところが、案に相違して垣根さんは史実の確認に熱心であり、その勢いを前に、時にこちらが圧倒されることもあった。一例をあげよう。垣根さんは事前に伏見稲荷大社や向日(むこう)神社などの丘陵に登り詰めるなど、当初から、高所からの眺めにこだわっておられた。私に白羽の矢がたったのも、足軽に関わる本と、相国寺(しょうこくじ)大塔について触れた著作があったからである。
小説にもたびたび登場する、この相国寺大塔とは、応永六年(一三九九)に室町幕府三代将軍足利義満が、亡父義詮(よしあきら)の三三回忌法要にあたり、菩提追善のために建立した約一一〇メートルの高さの大塔で、自身の権勢を誇示する役割も果たしていた。しかしその高さ故に雷火で頻繁に焼失し、応永十年(一四〇三)に焼失したのち、義満が当時、住んでいた北山第(今の金閣寺)に北山大塔として再建され、この建物も応永二三年(一四一六)に焼けて再び相国寺横に建て直され、最終的に文明二年(一四七〇)にやはり落雷による火災で失われた幻の塔である。
頻繁に雷火で焼失ということ自体が、この塔の高さをよく物語るが、執筆が具体化する過程で相国寺大塔付近で徳政一揆が蜂起した記事があるのではないかとの問い合わせを受けた。半信半疑で探してみると、小説と同じ時期に糺(ただす)の森付近で一揆と幕府軍が衝突する記事が確かにあった。研究史的には、この時の戦闘は、一揆が糺の森の西に位置していた将軍御所を目指す過程で発生したと説明されてきたが、相国寺大塔が糺の森の賀茂川を挟んですぐ西隣に屹立していたことを踏まえると、京のランドマークだった大塔をめざす一揆と、それを察知した幕府軍との攻防戦だったと見たほうがよりしっくりくる。塔を目指す一揆のすがたは、研究者も気づかなかった垣根さんの発見であり、本小説の見せ場の一つとなっている。
このように史実の探求に熱心である一方、それに束縛されているわけではない。本作品の主要登場人物である骨皮道賢(ほねかわどうけん)と蓮田兵衛(はすだひょうえ)、馬切衛門太郎(うまきりえもんたろう)などはいずれも実在の人物だが、史料では数行の記述が残されるのみで彼らの実像については不明な点が多い。しかし本作品では小説の技法で彼らの動向がきわめて躍動的に描かれており、史実を土台にしていることもあって、リアリティーをもって読み手に迫ってくる。それは今後、私が骨皮道賢の史料を読みなおした時に、本小説で描かれた道賢像が頭からはなれないことを危惧するほどである。
折しも今年の七月、北山大塔の塔の頂上にそびえ立つ、避雷針のようなかたちをした九輪の一部と推定される金属片が金閣寺の境内から発掘された。大塔に関連する遺物が発掘されたのは実ははじめてであり、大塔をとりあげた室町時代の小説が刊行されるタイミングとしては最適ではないだろうか。史実の追い風も受け、室町小説がここに誕生したのである。
(はやしま・だいすけ 京都女子大学准教授・日本中世史)