書評
2016年9月号掲載
善意の人たらんとする、すべての君よ
――浅生鴨『アグニオン』
対象書籍名:『アグニオン』
対象著者:浅生鴨
対象書籍ISBN:978-4-10-350171-8
人生を変えたいと願っている二人の若者が登場する。
一人の名はユジーンという。彼が生きているのは、一つの機関(アルビトリオ)によってすべてが統べられている世界である。ユジーンの住む南ガリオアは最貧地帯であり、住民の大部分がモグラとよばれる地下の採鉱作業員として働いている。しかし彼は、選良となって世界をより住みやすいものとして変えていきたいという強い願望を持っていた。そのためには宇宙で働ける職場に異動し、機関員となることを目指すしかない。大望を抱いたユジーンが鉱山局の人事部を訪ねると、そこで待ち受けていたのは意外な対応だった。なんと、宇宙局の特別候補生として抜擢されることになったのだ。戸惑う暇さえ与えられず、彼は月に向かうシャトルへと乗り込む。
もう一人の若者はヌーという名前を与えられる。彼が生きるのは、ユジーンのものとは様相の異なる世界だ。ヌーは、旅先で身ごもったらしい母親によって父親のわからない子供として産み落とされた。そのため、掟により存在しない者として扱われることになったのである。ヌーとはゼロを意味する一族の言葉だった。彼は成長する中で、奇妙なことに気づく。一族の者の体表を薄い光帯が覆っているのが見えるのだ。光帯を読むことでその人の感情がわかる。それをいじることで、感情を変化させることも可能なのだ。その能力が、ヌーの運命を変えてしまうことになる。
浅生鴨『アグニオン』を手にした人の胸に初めに浮かぶのは、主人公も世界観も異なる二つの物語が並行して進んでいくのはなぜか、という疑問だろう。だが、それ以外にもこの小説には謎の部分が多いのである。
ユジーンの世界では、人々は言動端子(アクトグラフ)を常に身につけることを義務づけられている。日々の会話や行動は監視されており、争いだけではなく、度の過ぎた欲望を持つことも禁止されている。それを行っているのが機関を統率する監理者(インスペクタ)という人々だ。そうした体制によって世界は統一されたのであり、全人類を善き人(アグニオン)に導くという究極の目的が機関にはあった。そこにユジーンのような一介の労働者がなぜ登用されることになったのかが最大の謎である。ヌーの物語においては、彼の持つ能力がまず不可解だが、話が進行していくにつれて小さな疑問符が多数浮かび始める。一族を離れて未知の土地を訪れたヌーは、世界が自分が思っていたのとはまったく違う形でデザインされていることに気づき、驚くのである。
一口で言うならば、ユジーンの物語は自身の存在がなぜ世界に受容されないのか、という生存の不安から始まり、ヌーのそれはこの自分がなぜ世界に産み落とされたのか、という存在の疑問に集約されていくものである。SF、もしくはファンタジーの枠組みを用いた物語だが、そうした普遍性があるために読者は抵抗なく読み進めていくことができるはずだ。題名は善き人を意味する言葉からとられているが、善悪という倫理観の問題は小説の中途から急浮上し、二つの物語共通の検討しなければならない課題となっていく。
特にそれが意識されるのはユジーンの物語だ。彼の住む世界では善き人たることが至上の命題であり、それに向かって全人類が努力することを求められる。善ではないと判断されれば、排除さえされかねないのだ。分離化(ディビジョン)という言葉が出てくる。感情のうちから怒りなどの不適切な要素を排除して、善き人として再生させるという技術である。しかし時に負の感情を抱くのが当たり前の人間から、それらを排除することは果たして正しいのだろうか。
善なることのみを求める硬直化した価値観、異分子を排除することを声高に叫ぶ社会の在り様を戯画化した小説と見ることもできる。ユジーンとヌーの物語は合わせ鏡になっており、存在しない者として初めから排除されたヌーにとっては、単一の価値観への帰依は果たせない願望の一つでもある。そうした形でしか自身の孤独が癒やせない者もいるということを、彼の物語は読者に告げてくるのだ。
作者の浅生鴨は、NHKの元「ツイッターの中の人」として以前は知られていた人物である。小説第一作となる本書は、一見遠い世界の話を装いながら、きわめて身近な問題を含んでいる。二人の若者は現代人の分身でもあるのだ。
(すぎえ・まつこい 書評家)