書評
2016年9月号掲載
抱腹絶倒、驚天動地の九十九変奏
――法月綸太郎『挑戦者たち』
対象書籍名:『挑戦者たち』
対象著者:法月綸太郎
対象書籍ISBN:978-4-10-350221-0
「必要な情報はすべて出揃った。合理的に推論すれば、誰でも必ず真犯人を特定できるはず。読者諸君の健闘を祈る」
本格ミステリを読んでいると、物語の終盤に来て、こんな感じのメッセージが突然はさみこまれることがある。これが"読者への挑戦"というやつ。見たとたん、よし、絶対犯人を当ててやると奮い立つ人もいれば、めんどくさいよとげんなりする人もいるでしょうが、本格ミステリの華というか、小説であると同時に論理パズルであることを高らかに宣言する刻印みたいなもんですね。本格なら必ず入ってるというわけでもないが(率で言えばむしろ少数派)、エラリー・クイーンの国名シリーズを筆頭に、高木彬光『人形はなぜ殺される』、島田荘司『占星術殺人事件』、有栖川有栖『双頭の悪魔』、綾辻行人『鳴風荘事件』など、読者に"挑戦"する名作は数多い。この"読者への挑戦"を九十九通りのスタイルで変奏するという難題に挑戦したのが、本書『挑戦者たち』。
作中の架空書評「97 不完全な真空」で言及されるとおり、これは"フランスの前衛作家レーモン・クノーが書いた『文体練習』の推理小説版"。さらに引用すると、本書は、"最強王者クノーの対戦スタイルから多くを学びながら、その拳をピンポイントに連打して伝統的な本格ミステリ形式をノックアウトしようと目論んでいる。「読者への挑戦」という針穴を通して、謎解き小説の全体像をあべこべに映し出す「カメラ・オブスクラ」的なメタフィクションと呼んでもいい"。
うわあ、やっぱりめんどくさそう......と思うかもしれませんが、クノーの原典がそうであるように、奇想天外なパロディや愉快なパスティーシュ、楽しい仕掛けが満載されていて、ミステリマニアならずとも大笑いできる。和田誠が川端康成『雪国』の冒頭をいろんな作家の文体で書き分けた名作『倫敦巴里』とか、2ちゃんねるなんかで今も人気が高い文体模写スレとか、そういうのの本格ミステリ版だと思えばいい。
実際、本書の中には、「わしら この本かいた さく者や」と名乗るもの(「5 和文タイプ」)や「おれがむかし読者だったころ/弟は毒蛇/妹は独居者だった」(「85 昭和芸能史」)と語り起こすものがあって中年読者なら懐かしさに浸れるし、川柳、電報文、いろは四十八文字から、QRコード(スマホで読みとると"読者への挑戦"が表示される)まで多種多彩。わりとくだらないのが基本です。
かと思うと、ボルヘスを下敷きにした「20 幻獣辞典」では、"〈読者への挑戦〉は書物の中にひそむ妖魔で、(F・R・ストックトンの疑わしい報告によれば)女と虎が半分ずつ混じり合った姿をしている。その名の通り、物語の読者に謎をかけ、正しく答えられなかった者は失明してしまう"と、いかにももっともらしく解説されたりするが、そういうパスティーシュのみならず、実在の作品を俎上に載せた本格ミステリ論だったり、架空作家の架空ミステリの(レム『完全な真空』的な)あらすじ紹介だったり、融通無碍にして変幻自在。たとえば「29 最多挑戦記録」では、"読者への挑戦"ページに広告を掲載するというアイデアを思いついたミステリ作家の涙ぐましい"挑戦"過程が紹介されて大爆笑。
一見、ランダムに配置されているように見える"挑戦"群の中にあって、特定の作家・編集者・作中人物がくりかえし登場、点と点をつなぎあわせると、彼らをめぐる物語がぼんやり浮かび上がってくる......というような凝った趣向も用意されている。
大人気を博した『ノックス・マシン』所収の短編「論理蒸発」では、クイーンの『シャム双生児の謎』(国名シリーズなのに"読者への挑戦"が存在しない)を題材に、物語平面上の特異点である"読者への挑戦"が(ブラックホールが蒸発するようにして)蒸発した結果、電子書籍の"炎上"を招いたのでは――という奇想がフィーチャーされていたが、本書では"読者への挑戦"のまさに特異点的な性格が徹底的に探求される。その意味では、じつに法月綸太郎らしいスリリングな本格ミステリ論だが、ベタすぎるギャグ(馬鹿には見えない挑戦状とか)や定番のタイポグラフィックものを迷彩に、そうした野心的な挑戦を目立たなくする戦略がうまい。予備知識ゼロの読者でもちゃんと楽しめるのでご心配なく。たいへんな手間暇がかかっているはずなのに、読者にはその苦労のあとをみじんも見せない、抱腹絶倒驚天動地の傑作。
(おおもり・のぞみ 書評家)