書評
2016年9月号掲載
建築というリングでの戦いを観るように
――古山正雄『安藤忠雄 野獣の肖像』
対象書籍名:『安藤忠雄 野獣の肖像』
対象著者:古山正雄
対象書籍ISBN:978-4-10-350241-8
一九四一年生まれの安藤が建築家を目指した一九六〇年代中頃は、国家的プロジェクトの東京五輪も終わり、七〇年の大阪万国博の建設中で、七五年の沖縄海洋博もすでに先輩たちによって手が付けられていた。同年代の建築家には、この世は収穫が終わった茫々たる野のように見えたことだろう。
本書の著者で京都工芸繊維大学の学長である古山正雄は、安藤より六つ歳下の京都生まれで、自身も建築と都市工学を学んでいる。一九七七年、初めて安藤と会って、それから四十年近く、一緒に海外にも行き、安藤の新しい建築が完成するたびに呼ばれて見学するなど、長い付き合いが続いているという。
そうした中で聞き取ったのだろうか、安藤の幼少時代に始まり、建築家になるべく孤高の鍛錬をしていた時代、やがて世界を目指してグランドツアーに旅立つ様子など、若い頃の安藤の生き方や思考回路を詳細に綴っている。
当時ギリシャを旅した安藤は、パルテノン神殿を前に、「この場所を支配しているのは数学だ」という答えを見つけたと自著に記しているそうだが、古山はそれをこう分析する。
「彼がアクロポリスで発見したのは、古典の美というよりは論理の力、秩序の源泉としての数学というものであった」
つまり、パルテノン神殿の崇高さは、抽象的な美ではなく、冷静に計算された幾何学的な数字によって構成されており、建築は空間に秩序を構築することと悟った瞬間だったのだ。
安藤の名を世に知らしめた作品といえば、一九七六年に完成した「住吉の長屋」である。室内が大きな中庭で分断されているため、雨天にトイレに行くにも傘が必要なのは有名な話だ。かつては建て主は被害者だと議論を呼んだこともあったが、実際には建て主はこれを受け入れるというより、むしろ屋根がない開放感を望み、勇んで若き安藤と一緒に闘いに挑んだのだから、スゴイ時代だった。
本書には「住吉の長屋」はもちろんだが、さかのぼること三年、『都市住宅』一九七三年七月号に発表された「都市ゲリラ住居」と称する三つの計画も出ていて、なんだか懐かしい。安藤が三十二歳のときのデビュー作で、実にカッコいいネーミングである。急速に都市化される不条理に抗する、下町の砦のごとき住居案で、「都市ゲリラ住居」の真っ黒な模型以外の町屋は、英字新聞で形を覆われた暗示的な写真も掲載されている。住居を都市から隔絶し、内部空間を充実させていて、信じるのは内部空間だけと、今から見ると少々自閉的すぎるつくりだが、都市に住む意志と意地を明確に示し、これが、後の「住吉の長屋」に通じる第一歩だと感じる。
「安藤は大阪弁で出来ている」と古山が書いているのも嬉しかった。僕もTVで見たことがあるが、安藤は海外に行っても大阪弁だ。思想家のエミール・シオランが言った「人は国に住むのではない。国語に住む」という言葉を思い起こす。言語は感性や思考や規範などすべての基本である。安藤忠雄は、日本語というより「大阪弁」に住んでいるのだ。
安藤の強みと特色は、はじめから三次元の立体を生み出すことにあると古山は言う。平面・立面・断面と分けて発想するのではなく、逆に三次元の発想を図面に落とし込んでいく。そして、安藤の身体には「手作りの精度」が埋め込まれていて、建築にも100分の1ミリの精度を求め、それが密度の高いコンクリートに繋がっている、という。確かにそれも、世界が安藤に魅せられる要因の一つかもしれない。
浪速の街場で育ち、職人の手仕事に密着し、人情の機微に通じ、世界に通じた安藤が、一見相反する野性と知性、理想と実業を両手にしてきた経緯も克明に描かれ、全体を通し、ボクサー出身の安藤が、建築というリングで戦う試合を観ているかのようにドラマチックに読める。自著では書きにくい、公私ともにパートナーである由美子さんとの実話もあり、自伝ともひと味違う、「一冊まるごとアンタダ」である。
専門的な部分も多分にあるが、「野獣の肖像」を垣間見るために、読者は著者と安藤に鍛えられるつもりで読むしかない。
読み終えると、近年の安藤による海外の歴史的建造物の大改修は、中世や近世の建築が、「ANDOに頼もう」と自らの意志で建築家を選んだのではないか、という気さえしてくる。
建築は無機物ではなく、生き物なのだ。
(ふじつか・みつまさ 写真家)