書評
2016年9月号掲載
虐待事件の「元凶」を追って
――石井光太『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』
対象書籍名:『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』
対象著者:石井光太
対象書籍ISBN:978-4-10-132538-5
一向に減る気配のない幼児虐待。先ごろ2015年度の児童虐待の対応件数が10万を超えたと発表されたばかりだ。本書は、まさに「鬼畜」の所業としか思われない3件の子殺し事件を、オムニバス形式で取り上げている。
2014年5月、神奈川県厚木市のアパートの一室で、小さな男の子の白骨遺体が見つかった。男の子の名は齋藤理玖(りく)君。5歳半で亡くなった後、7年以上もこの部屋に遺棄されていたのだ。
我が子を監禁して餓死させたとして、逮捕されたのは父親である。妻の失踪後、ひとりで育てていたが、ライフラインがすべて止まったゴミだらけの真っ暗い部屋に理玖君を閉じ込め、次第にアパートに帰らなくなった。やせ衰え、歩くこともできなくなった理玖君はそれでも、たまに父親が帰ってくると「パパ、パパ」と喜び、小さな手で体に触れてきたというから、あまりに切ない。
高校2年の時から10年あまりの間に妊娠を8回も繰り返し、このうち嬰児2人を殺害した女。彼女は法廷で、殺した理由を問われてたどたどしくこう答える。
「なんとかなるって思っちゃってたんですけど、そうならなかったから、困って......でも、私が悪いって思います」
足立区の夫婦は、3歳の次男を、しつけと称してウサギ用のケージに監禁した末に死亡させた。いまだに遺体が見つかっていないが、夫婦の記憶は定かではない。夫は河口湖の湖畔に埋めたと言い、妻は、死んだ飼い犬を捨てた荒川に次男も捨てたとほのめかす。死なせた子はその程度の存在でしかないのだ。
しかし驚いたことに、三つの事件の親たちは異口同音にこう言うのである。
「子供のことは愛していた」
著者が取材を進めると、確かに子供が憎くて殺したわけではなさそうだ。彼らなりにうそ偽りなく発した言葉ではあるが、一般の感覚とは絶望的なまでにずれている。
いったいどうしてこんな親が生まれたのか? 著者は、懲役19年の判決を下された理玖君の父親を拘置所に訪ねる。すると、「自分は理玖をちゃんと育てていた。殺していない」と言い張る。我が子を塗炭の苦しみに追いやってなんという言い草か、と憤るところだが、著者は、父親の呆れた言い分に何かを感じる。彼が、我が子をネグレクトして死亡させたのは事実だが、事件の核心部分はむしろ別のところにあると感じたのだ。
昔、どこかで読んだことがある。殺人事件が起きた時、自分の意思で直接、手を下した人間が犯人であることは間違いない。しかし実はその背後に、元凶と思しき人物が存在していることがある。その場合、真犯人とはいったいどちらなのか?と疑問を投げかける文章だった。
三つの事件はまさしくそれだ。著者は、綿密な取材によって親族を割り出す。その親族の証言によって、それぞれの犯人の成育歴、家庭環境が、ときには三代まで遡って明らかにされる。そして真の"犯人"が暴かれるのだ。次男をウサギ用ケージに閉じ込めていた男の母親は、「モンスター」と呼ばれていた。彼女は、生まれた子供5人を次々に乳児院に放り込み、出生届すら出さない場合もあった。この母親のいきあたりばったりの性格を、男はそっくり受け継いでいるという。
しかし、この「モンスター」も、劣悪な家庭に育ったゆえにこうなったと推察できる。すると、その親もまたその親も、となり、とめどない悪循環だ。この悪循環を断ち切って子殺しを防ぐ術はないのか? 余計な感情移入を排し事実に徹した筆致は秀逸で、読者に深く考えさせる。
最終章はその答えでもある。あるNPO法人の取り組みだが、「赤ちゃんポスト」とともにいわば、"対症療法"であり、賛否もあるだろう。しかし、命の危険に晒される赤ん坊を確実に救うことができる。読者は陰惨な事件の果てに、一筋の希望を感じるはずだ。
(ふくだ・ますみ ノンフィクション作家)