書評
2016年9月号掲載
女児失踪事件の背後の冷たさ
――安東能明(よしあき)『広域指定』(新潮文庫)
対象書籍名:『広域指定』(新潮文庫)
対象著者:安東能明
対象書籍ISBN:978-4-10-130155-6
安東能明は豊かな鉱脈を見つけたな――そう感じる。
彼のデビューは約二十年前のこと。一九九四年に『死が舞い降りた』で日本推理サスペンス大賞優秀賞を獲得し、翌年刊行された同書でデビューしたのだ。続く第二作は、二〇〇〇年にホラーサスペンス大賞特別賞を受賞した『鬼子母神』。その後専業作家となり、ホラーやミステリなど幅広く執筆を続け、デビューから十五年となる二〇一〇年に「随監」で日本推理作家協会賞(短編部門)を射止めた。その「随監」を含む柴崎警部の警察小説シリーズこそが、鉱脈であった。
柴崎は、部下の拳銃自殺事件によって三十六歳にして突然エリートコースから転げ落ち、左遷された。綾瀬署警務課の課長代理として、署員の人事や福利厚生を担当するようになったのである。そんな彼の左遷後の活躍を描いた『撃てない警官』は、「随監」を収録して二〇一〇年に刊行された。二〇一四年には第二短篇集『出署せず』が、そして今年に入って第三短篇集『伴連れ』が刊行されている。今年は『撃てない警官』が全五話でTVドラマ化されており、柴崎のシリーズは、人気を確かなものにしてきているのだ。そして五月刊の『伴連れ』に続き、八月にはシリーズ第四作が早くも刊行されることになった。シリーズ初長篇の『広域指定』だ。
今回キーとなる事件は、小学三年生の少女の失踪事件である。いつもなら夕方四時には帰宅しているはずの笠原未希が、夜の九時になっても帰宅しないという通報があったのだ。当直担当だった柴崎は、刑事課の巡査、高野朋美と連携して初動にあたる。そんな折、柴崎に凶悪犯罪を専門に扱う捜査一課第八係から連絡があり、笠原宅に鑑識と特殊班を投入するという。なぜ捜査一課がそうまで積極的に動くのか。柴崎の疑問は解かれないまま朝を迎え、そして笠原未希は依然として帰宅しない。そうこうするうちに、柏で起きた過去の女児誘拐殺人事件との関連が浮かび上がる......。
柴崎のシリーズで安東能明は、事件そのものの醜さや怖ろしさと、組織のなかで生きる警察官の人間ドラマという二つの異なる要素を、事件の解明という行為で鮮やかに串刺しにしながら、一つの物語として描き続けてきた。その特徴は、もちろんこの『広域指定』にもきっちりと現れている。
まずは事件――これが読み手の胸に重く深く響く。"笠原未希が帰宅しない"という出来事の裏には複数の人物のそれぞれの思考が潜んでいるのだが、各人の身勝手さは、読み手を空恐ろしくさせる。現代的で生々しく、かつ無機質で心を凍らせるような思考を、柴崎や高野たちは、丹念な捜査の果てに暴き出してしまうのである。
彼等の活躍が、捜査一課と所轄の争い、さらには柏署との争いのなかに置かれている点にも注目しておきたい。縄張り意識、情報の抱え込み、面子(メンツ)、そんな組織の都合が、女児の捜索活動を停滞させ、読者に焦りを体感させる(このあたり、実に巧みな書きっぷりだ)。そして、その警察の姿を通じて、"身勝手"が警察の側にも存在することを、安東能明の筆は容赦なく浮き彫りにしているのだ。さらに、"身勝手"に陥る直前で踏みとどまる者、あるいはそこから回復した者をも著者は登場させ、そう出来なかった者たちと対比している。そこまで描き込んだが故の緊張感が、この作品には、そしてこのシリーズには満ちているのである。
そうした捜査活動と並行して、警察で仕事を続けること、つまりは出世や異動に関する心の揺れや家族からの言葉なども描かれている。失踪事件の解決に直接結びつく要素ではないが、これがあることで、柴崎たち主要人物の活動に深みが増す。また、シリーズ読者には大きな物語としての魅力が提供される造りとなっている。嬉しい気配りだ。
本シリーズは、第二作でキャリアの女性警察署長が登場し、第三作では警察手帳を紛失するという大失態を犯した女性巡査(高野だ)が登場するという具合に、一作ずつキャラクターの魅力を加えてきた。そして第四作の本書は、柴崎とともに彼女たちが活躍する長篇となっており、その成長も愉しめる。そう、着実に進化を続けているのだ。中篇集になりそうだという第五作が今から愉しみである。
安東能明が掘り当てた鉱脈は、まだまだ尽きそうにない。
(むらかみ・たかし ミステリ書評家)