書評
2016年10月号掲載
異なるものに手を伸ばす
――彩瀬まる『朝が来るまでそばにいる』
対象書籍名:『朝が来るまでそばにいる』
対象著者:彩瀬まる
対象書籍ISBN:978-4-10-120053-8
これはまずいと感じる出会いが、今まで生きてきて何度かある。この出会いは、自分の価値観を変えてしまうほどだ。全身が、甘く切ないものや黒く醜いもので満たされ過ぎてしまう。油断すれば心をまるごと食べられてしまう。そんな、出会い。
彩瀬まるさんという小説家との出会いもそういうものだと、「朝が来るまでそばにいる」を拝読し、確信した。読んでいる途中、文章から手が伸びてきて本の中に引きずりこまれるかと思った。
本作には彩瀬さんが数年にわたって執筆された短編が六話収録されている。短編集は長編とは違って一つの価値観を持って描かれるわけではないから、ともすれば見えるものがぼやけてしまって味が薄くなるなんて、そんなことを考えてこの本を読みだすと、きっと面食らう。
何故なら、この本では正真正銘「彩瀬まるの小説」を六つ読むことになる。短編が集まって一冊の本になったのではなく、六冊の本がくっついてしまった。一つ一つの物語の完成度、満足感に、そんなことを思う。
完成度とは言っても例えば文学史的価値があるとか、人間の思考を高みに導くとか、そういう難しいことを指して言葉を選んだわけではない。僕はそういうことにはあんまり興味がない。単純に、収録されている六つの作品すべてが、エンターテイメントとして面白いという意味だ。
六つの作品群の中で彩瀬まるさんは生と死について書いている。こことここじゃない場所についての話をしている。そして、自己と他者についての物語を綴っている。それぞれ、決して交わることのないはずのものが触れ境界線が曖昧になる瞬間が描かれている。その瞬間の味わいにこそ、この本を読むことの最高の面白さがあると、僕は思う。
その面白さは、スカッとする面白さや、大感動する面白さ、とは違う。異質なものに触れた時、心のどこかをくすぐられるような怖さにも似た快感を抱く、そういう面白さ。
この面白さに、特に彩瀬まるさんより若い読者の方達にこそ触れてほしいと思っている。例えばどこかの誰かが書いた「君の膵臓をたべたい」という本を読み、分かりやすくて感動したと思ってくれるあなたにこそ、本作を読んで種類の違う感動を味わってほしいと思っている。
もう一つ、六つの作品を通して描かれていることは、「受け入れる」ということだ。現状、自分自身、自分以外のもの、変えられるものもあれば変えられないものもある中で、受け入れるか否か、そしてその方法を登場人物と一緒に考えることになる。いつしか登場人物と自分すら曖昧になる瞬間が来る。
「朝が来るまでそばにいる」という題名の短編は収録されていない。そして、そのような台詞も今作には登場しない。しかし読めば僕らは、「朝が来るまでそばにいる」と告げてくる何かを受け入れるのかどうか、その選択をしなければならない時が来るのだと分かる。
今回、書評を書かせてもらうにあたって、それぞれの短編の説明をしていない。理由はこの本の魅力がどこにあるかという点にある。これから読まれるならどうか、彩瀬まるさんの描く風景を探っていくように物語を楽しんでほしい。登場人物達の背景、関係性、不思議な出来事、一つ一つに自分の手で触れ接し方を決めてほしい。
最後に、恐れ多くも同業者という視点から一つ。とにかく、どのお話でも、決め台詞が上手い。気持ちいいポイントでそこまでに膨らませた風船を見事に割るような一文や台詞が用意されている。最高だ。最高で、悔しい。
恐らく、僕は彩瀬まるさんという小説家をこの先ずっと尊敬し、そして嫉妬し続けると思う。日本語を捉える感覚や、日常を捉えるセンスに。きっと、僕が小説を書かなくなるまでずっと。そんな小説家がこの世界にいるということが、とてつもなく幸せで、本当にほんの少しだけ、苦しい。
(すみの・よる 作家)