書評

2016年11月号掲載

底知れない深み、果てない広がり

――アリス・マンロー『ジュリエット』(新潮クレスト・ブックス)

野中柊

対象書籍名:『ジュリエット』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:アリス・マンロー著/小竹由美子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590131-8

 二〇〇四年、アリス・マンローが七十三歳のときに刊行された短編小説集であるという。本書を手にして、何ページか読み進めたところで気がついた。そうだ、そういえば、原書を持っている、読んだことがあったはずだ、と。本棚のあちこちを探して、ようやく見つけた。八年前にニューヨークへ遊びにいったときに、ストランド・ブックストアで買ったものだ。ダウンタウンにある、この老舗の書店がとても好きで、画集や写真集を眺めたり、新旧の小説や詩の本を物色していると、時を忘れてしまう。
 あのときも小説のコーナーで、あの本、この本に手を伸ばしているさなかに、アリス・マンローの名前が目に飛びこんできて、買わずにはいられなかったのだ。当時、彼女の作品は、クレスト・ブックスで『イラクサ』を読んだだけだったけれど、心惹かれていた。もっと読みたいと思っていた。
 懐かしい――本棚の中ですこし変色してしまったペーパーバックのページを捲りながら思い出した。旅から戻るとすぐに、辞書を引きながら、ゆっくりとしたペースで、この短編集を味わったのだった。アリス・マンローという作家は、こんなふうに言葉を選ぶのか、物語の流れを作っていくのか、そして、複雑な関係性や心の機微をなんと簡明な言葉遣いで表現できるひとなのだろう、と感嘆しながら。アリス・マンローのヴォイスは静謐で無駄がなく、心にまっすぐに届く。ときには厳しく。ときには優しく。
 あれから何年も経って――そのあいだに彼女のほかの作品集『ディア・ライフ』『小説のように』『善き女の愛』も手にした、魅了された。そして、二〇一三年に著者はカナダ人としては初めてノーベル文学賞を受賞したわけだが――『ジュリエット』と邦題がつけられた、この作品集をあらためて読む機会に恵まれ、小竹由美子さんの端正な訳文に身を任せつつ、書かれてあること、あえて書かれずにあることの、その豊かさに圧倒された。ことに書かれずにあることの、底知れない深み、果てない広がり――言葉で語られない、いかなる情景がここに潜ませてあるのだろう? 想像しはじめたら、どこまでも遠くへ、もといた場所には二度と戻ってこられないほど遠くへ連れ去られてしまいそうだった。読み手にとって、それはおそろしくも無限の可能性だ。
 いや、実際、連れ去られてしまったのだろう、認めなくてはならない。アリス・マンローの作品を読む前と、読んだ後では、世界のありようが同じではあり得ない。自分自身は一歩も動かず、ベッドの上に寝転んで、もしくは日向のソファに腰かけて、身の安全を図りつつ物語に没頭していたはずなのに、ふとページから目を上げると、何かが違ってしまっている。日々の生活に戻れば、その変化はいよいよ顕著だ。風景の見え方が、人々の会話の響き方が、親しいだれかとの距離感が、自分ではそのつもりがなくとも、これまでとは微妙に、でも決定的に違ったものになっているのだ。
 おそらく、アリス・マンローの手によって、容赦なく暗幕が剥ぎ取られ、隠蔽されていたほうが無難な何かが、白日のもとに晒されてしまったせいなのだろう。たとえば、躓きの石。魔がさす瞬間。いわゆる善意の人々の、ささやかでありながら、だれかの人生に取り返しのつかない影響を与えかねない酷薄な悪意。屋根裏、もしくは地下室に置き去りにされた得体の知れないもの――それを彼女は、ときとして書かずして書く。だれもが知っているだろう、日常の事ごとを淡々と冷静に、緻密に書くことによって、言葉にはなりえない人間の真実を読者に伝えるのだ。
〈短編小説の女王〉と称されるこの著者ならではの、長編小説よりむしろ、ずっしりと重厚な読み応えのある作品の数々――本書に収められた「家出」「チャンス」「すぐに」「沈黙」「情熱」「罪」「トリック」「パワー」には、母と娘の関係を描いた連作〈ジュリエット三部作〉も含まれている。かつての娘が母になり、つかの間の蜜月を過ごすものの、やがて、それぞれがひとりの女として、別々の人生を歩んでいく、その力強い姿に心を揺さぶられる。アリス・マンローの長年の愛読者にとっても、初めての読者にとっても、待ち望まれた一冊であることは間違いないだろう。

 (のなか・ひいらぎ 作家)

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