インタビュー

2016年11月号掲載

今月の新潮文庫

芸者、そのほんとうの姿

井上雪『廓のおんな 金沢 名妓一代記』

唯川恵

対象書籍名:『廓のおんな 金沢 名妓一代記』(新潮文庫)
対象著者:井上雪
対象書籍ISBN:978-4-10-120651-6

――『廓のおんな』は、明治から昭和にかけての金沢で、わずか七歳で置屋に売られ、芸者として身を立てた山口きぬという女性の語りを通して、当時の芸者の人生を鮮やかに伝えるノンフィクションです。金沢で生まれ育った唯川さんに、この作品の魅力を伺いたいと思います。唯川さんは、『夜明け前に会いたい』『恋せども、愛せども』などの作品で茶屋街や芸者出身の登場人物を描かれていますが、花街に特に思い入れをお持ちなのでしょうか。

唯川 これまで何度か金沢を舞台にした小説を書いてきましたが、やはり山口きぬさんがいた「東の廓」こと東の茶屋街は絶対に外せませんでした。女川と呼ばれる浅野川、その川が側を流れる東の茶屋街、背後にそびえる卯辰山。その風景は私にとっての原点です。というのも私は、東の茶屋街から歩いて二十分ほどのところで育ったんです。同級生のなかには置屋から通ってくる子もいました。ただ身近な町だったわけではなく、東の茶屋街は子ども心に「近づいてはいけないところ」というイメージがありましたね。いまはすっかり観光地化されてしまいましたが。 この作品でも、時代が変わって行くにつれ、芸者や置屋のあり方が変化していくさまが描かれていますが、私が知っている昭和四十年代以降と、きぬさんの時代とでは、東の茶屋街や芸者の方々の様子がかなり違いますね。私のときは、子どもがお金で買われてくる、といった悲惨な雰囲気はもうありませんでした。それだけに、知らなかったことも多かった。

 やはり驚いたのは、きぬさんの時代では、芸事が自慢だった東の茶屋街の芸者たちも当たり前のように体を売っていた、ということです。十五歳の水揚げではじめてお客を取り、その後は旦那が決まるまで様々な客の相手をしなければならなかった。一方で、お座敷に呼ばれる名妓になるために、芸を磨くことも求められていた。かつての芸者は、その両方をこなさなければならなかったとは。

 また、芸者は当時の社交界には欠かせない存在だった、という印象も受けましたね。結婚式や還暦のお祝い、四季折々の行事には必ず芸者が呼ばれていた。東京から来た大臣や作家の宴席にも侍った。金沢の人というのは「よそ者」を受け入れるのが得意ではないのですが、日露戦争のときに大量にやってきたロシア人の俘虜の相手をしたのも芸者ですね。そして、きぬさんが芸者を辞めるときの「引き祝い」の豪華なこと。知事、市長、警察署長と錚々たる面々が出席して。芸者の地位が高かったということは決してないけれど、有力者たちが交流を持つための場として、廓が大きな役割を担っていたんだな、と思いました。

――きぬさんの人生については、どのような感想を持たれましたか?

唯川 どんなに不運な境遇に置かれても、女は身一つで生きて行ける、そう実感させられる人生ですね。きぬさんが過酷な運命を淡淡と受け入れていくさまに、ノンフィクションならではの凄みを感じました。たとえば水揚げの場面。小説だと泣いて嫌がったりして悲惨さを演出するところだけど、『廓のおんな』では、きぬさんの金沢弁での述懐で一気に書いてしまう。事実を積み重ねて描写していくことで、生々しい迫力が生まれていく。

 やがて三十歳を過ぎたきぬさんが、駆け落ちしてはじめて好きな男と寝る喜びを語る言葉も、より色っぽく響きましたね。古い金沢弁のイントネーションや、特有の鼻濁音を思い出しながら読みました。

 その後、愛人と別れて廓にもどったきぬさんは、置屋の経営に乗り出し、若い芸者を育て、姪の教育のために経済的援助をするまでに自立するんですが、私はやはりこの駆け落ちの経験が大きかったのだと思います。はじめて「仕事」ではないセックスを知ったことで、女としてより逞しくなった。やっぱり女は一度そういうことを経験しないとだめなんだと思います。愛を知って成長していく、なんて小説ならできすぎだと感じる構成ですが、現実としてあるんですね。

 著者の井上雪さんがきぬさんに惚れ込んだのは、不自由な環境のなかでも自分の意志を貫き通そうとした、その強さゆえなんでしょうね。

――戦前、戦後の金沢を舞台に、自分の人生を切り開いていく女。唯川さんの小説の主人公にぴったりだと思いました。

唯川 心惹かれるものはあります。けれども井上雪さんは、金沢ではとても有名で尊敬されている作家なんです。その代表作を題材にするのは恐れ多いですよ(笑)。

 (ゆいかわ・けい 作家)

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