対談・鼎談
2016年11月号掲載
『明るい夜に出かけて』/『何様』 刊行(『何者』映画化も)記念対談
小説の光が照らしだすもの
佐藤多佳子 × 朝井リョウ
対象書籍名:『明るい夜に出かけて』/『何様』
対象著者:佐藤多佳子/朝井リョウ
対象書籍ISBN:978-4-10-123736-7/978-4-10-126932-0
朝井 佐藤さんの『明るい夜に出かけて』と僕の『何様』が新潮社から同時期に刊行されたので、こういうトークイベントを開催できることになりました。佐藤さんとお会いするのは、五年ほど前、『チア男子!!』が出た時に対談させて頂いて以来ですね。
佐藤 朝井さんはまだ大学生でしたね。
朝井 そうです。十代の頃から、『一瞬の風になれ』を始めとする佐藤さんの作品を愛読してきましたから、初めてお会いできた時は光栄でしたし、緊張もしました。佐藤さんがミッキーマウスのTシャツを着ていらしたことを覚えています。
佐藤 朝井さんは当時デビュー一年くらいの新人さんでしたが、あれからいきなりすごい人になってしまって。今日、私は一体どういうスタンスで話したらいいのか困っています。
朝井 めっちゃ先輩として話して下さいよ!(会場笑) まずは僕から質問していいですか? 『明るい夜に出かけて』の主人公は深夜ラジオのハガキ職人ですね。僕はラジオが大好きで、その結果「オールナイトニッポン0(ゼロ)」で一年間パーソナリティをさせていただいたこともありますが、佐藤さんもラジオ好きだとは意外でした。それも、作品中で重要な役割を果たすのが「アルコ&ピース(平子祐希と酒井健太のコンビ)のANN」です。あんなお笑い指数の高い番組にどうやって辿りついたのですか?
佐藤 朝井さんよりずいぶん年上なので、話はかなり遡りますよ(会場笑)。中学二年の時に、谷村新司さんの「セイ!ヤング」を聴き始めたのがラジオを聴くようになったキッカケです。私は女子四人のグループで仲良くしていたのですが、そのうち二人がファンで「すっごい、ヤらしいのよ......聴いてみて」(会場笑)。
朝井 実際、どうでしたか?
佐藤 カマトトぶるわけじゃないけど、下ネタの意味が分からなかった。いやらしさが具体的に分からない(会場笑)。それからラジオが好きになって。いまのお笑いの人たちの番組を聴くようになったのは、もう十年以上前かな、くりぃむしちゅーの上田晋也さんの「知ってる?24時。」が好きで、それから「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」を聴き始めたんです。
作者が心から好きなものを
朝井 先ほど申し上げたように、小説の中でアルコ&ピースの番組が大きな役割を担うのですが、あまり番組の説明をされていませんよね。それは作家として勇気がいることではないかと思うのですが。
佐藤 確かにあまり説明せずに、登場人物が聴いているままの感じで書きましたね。最初は、ラジオがあんなに大事な役割を果たすとは思っていなかったんです。ラジオはあくまで登場人物が出会うきっかけ、くらいに考えていました。で、どんな番組で出会うようにしようかと考えていた時、初めてアルコ&ピースのANNに出会って、はまってしまいました。
朝井 他の番組にはない、アルピーならではの魅力は何だったでしょう?
佐藤 バカバカしさに始まって、バカバカしさに終わるところ(会場笑)。何かモノを作っている人なら分かると思いますが、オチをつける方が案外易しいですよね。イギリスあたりが本場の「ナンセンス」という文学のジャンルがあります。ナンセンスを書くのは本当に難しい。バカバカしさ以外、余計なものを入れずに成立するフィクションを構築するって、大変ですよ。深夜ラジオはそれに似ていて、無意味なまでのやりっぱなしが許される媒体だと思うのですが、中でもアルピーの番組はその最たるものでした。
朝井 僕もあの番組が大好きです。二時間の生放送の冒頭でアルピーがテーマを決めて、リスナーからメールを受け付けるのだけど、リスナーの投稿がどんどん過激になっていく。というか、意味がわからなくなっていく(笑)。
佐藤 作中にも書きましたが、パーソナリティであるアルピーがもう舵を取れなくなって、「もうイヤだあ」「助けてくれえ」と悲鳴を上げれば上げるほど、〈神回〉と称えられる(会場笑)。
朝井 あの収拾のつかなさが聴いていて心地良かったですね。でも、ああいう無軌道で無意味な(会場笑)番組を小説に盛り込むことに躊躇しませんでしたか?
佐藤 「やってみて、だめだったら仕方ない」という五分五分の状態で書き始めたんです。本当は書く前にアルコ&ピースのお二人にご挨拶に行くべきなのですが、でも、変なものになるかもしれないし、完成しないかもしれない。だから、結局お二人には出来上がってからお見せしました。残念なことに、本が出るちょっと前に番組が終わったのですが......(今年三月末に番組終了)。
朝井 作者が心から好きなものを、あらゆる理性を超えて書いた小説には特有の光が宿る気がしているのですが、『明るい夜に出かけて』はその光を感じました。
佐藤 そう言って頂けると嬉しいのですが、実際は、好きが嵩じて勇み足になったかどうかのギリギリのところだったと思っています。
小説表現のアップデート
朝井 『明るい夜に出かけて』の中で、アルピーの番組があわや最終回になる、というシーンで、Twitter 上にリスナーによるたくさんの#(ハッシュタグ)が流れて、みんなが番組を惜しむ、その渦の中に主人公も没入するシーンがありますね。たくさんの#によって、胸がしめつけられるような感情を表現したのは、この作品がきっと初めてでしょう。小説における〈表現のアップデート〉に立ち会えた喜びがありました。
佐藤 ありがとうございます。あそこは実際に起きていたことを書いただけなのですが......。
朝井 Twitter 以外にも、アメーバピグなど、新しいものをどんどん取り入れておられるのが印象的でした。十代の子の言葉遣いなどもそうですが、そういう現実の新しいツールを取り入れることは、この作品では積極的にやってやろうと?
佐藤 若い子の言葉遣いについては、二〇一四年春から一年間の物語とはっきり限定されていますから、今回は古びたりするのをあまり恐れなくてもいいかなと思ったんです。アメーバピグの書き方は難しくて、一回全部なくしてみたりもしました。さっきのラジオ番組の説明にしてもそうですが、説明をあんまり入れるとわざとらしくなってしまいますしね。#ひとつ取っても、小説の中の説明って非常に難しい。朝井さんは『何者』で#をたくさん入れていますが、ひと言の説明も書いていなかったでしょう?
朝井 あそこはもう、「ついてこいよ」と思っていて(会場笑)。
佐藤 あれはかっこよかったですよ。
朝井 しかし、『明るい夜に出かけて』の富山もそうですが、佐藤さんの小説の主人公はどうしてこんなに読者が愛さずにはいられない人物になるのでしょう。それに、佐藤さんは女性でありながら、どうしてこんなに地に足のついた男子を一人称で書くことができるのでしょうか?
佐藤 それを言うなら、朝井さんはどうしてこんなに女性のイヤな感じが書けるのか、どこでどう女性と接しているとあんなふうに書けるのか(会場笑)。
朝井 全部妄想で書いています(会場笑)。
佐藤 女性には「男に生まれたかった」という憧れの気持ちがあるから、私が異性を書く時、男同士のつながりをきれいに書けているのかもしれません。でも、『黄色い目の魚』などについて、「高校生くらいの男子はモヤモヤしていて、そういう方面しか考えていないよ」とか「こんなに内省的ではないんじゃないの?」とか言われたこともありますよ。愛される登場人物かどうかは分かりませんが、私は何も決めずに、とにかく主人公になりきって書きます。どこに行き着くかは、主人公と一緒に進まないと見えてこない。どうなるか分からないから、怖くて連載ができない(会場笑)。
朝井 僕はそういう感覚になったことがないんですよ。僕自身が登場人物にシンクロしていないせいか、彼らに意地悪なことを書いてしまいがちです。
佐藤 朝井さんは、構成などをいろいろ決めてから書きますか?
朝井 僕はガチガチに決め込んで書きます。それがうまくいったときの快感が癖になって、その快感を味わうために書いているくらいです。ただ、先輩作家の方々に、「そのやり方だと自分の想像を超える作品は書けないよ」と助言をいただくこともあり、最近悩んでおります......。
佐藤健がカッコよくなかったわけ
佐藤 朝井さんと対談するという役得で、映画『何者』を公開前に見せて頂きました。非常に原作をリスペクトした映像化でしたね。
朝井 ありがたいことです。
佐藤 これからご覧になる方のために詳細は言いませんが、それでも三浦大輔監督の味が入って、驚きもありますね。
朝井 そうなんです。『明るい夜に出かけて』で、富山と知合う女子高生の佐古田が「伝染する」という言葉で表現していますが、創作物は連鎖で広がっていくことがありますよね。誰かが作ったものから、まさに伝染して、他の誰かが何かを作る。その時、何か変化が生じると思うのです。この映画でも、演劇をもともとやっていた監督によって変化が生まれています。原作者の僕に分からなかったものが見えてくるというのが、映画としてとても正しいことのように思いました。
佐藤 また映像になるとインパクトがすごいですよね。
朝井 『何者』では、最後にとある女性が大立ち回りをする場面があるのですが、そのシーンを映像で見ると、原作者なのにとても怖かったです(会場笑)。
佐藤 ところで、拓人を演じる主演の佐藤健さんって、カッコイイ俳優さんですよね。それがこの映画ではあまりカッコよくない。そこがよかったんです。俳優さんってすごいなあと感嘆しました。
朝井 なぜ佐藤健さんが今回はカッコよくなかったか、ご存じですか?
佐藤 いいえ、なぜです?
朝井 それは佐藤さんが僕をモデルに役作りしたからです(会場笑)。演じるにあたって、佐藤健と二宮拓人の間に、朝井リョウを挟んだと仰るんですよ。俳優の世界ではわりとスタンダードな役作りの方法だそうです。その結果、彼は僕が通っている美容院に髪を切りにまで行ったんです。日本中に「佐藤健みたいにして下さい」と美容師さんに頼む若者はいるでしょうが、まさか佐藤健が「朝井リョウにして下さい」と頼むとは(会場笑)。
佐藤 でも、なんで朝井さんにわざわざ寄せたのかなあ。
朝井 佐藤さんは「拓人は原作者が投影されている人物」と思われたようで、朝井リョウに似せれば、自然と主人公に近くなれるだろうと考えたらしいんです。さらに僕が着ているブランドの洋服を映画の中で彼が着ているのですが、またそれがちょうどよくダサく見えて(笑)。
佐藤 なるほど......あれ? 普通に話し続けていましたが、もしかして私、とても失礼なこと言っていますか?
朝井 いいえ、全然......ちょっと気づくのが遅いですね(会場爆笑)。
SNSでそぎ落とされるもの
佐藤 偉そうな先輩的言い方をしてしまいますが、朝井さんはすごくうまくなられましたね。私は朝井さんの作品では『少女は卒業しない』が一番好きで、短篇の切れ味と魅力にいつも圧倒されています。その次作の『何者』は長篇で、長篇小説は、構成、ストーリーが重要になると思いますが、ホップからステップなしでいきなりジャンプした、とでも言いたくなるような、すごい作品でした。
朝井 すみません――有難うございます、と言うべきでしょうが、恐縮すぎて。
佐藤 今度の『何様』は、就活生たちが主人公だった『何者』のアナザーストーリー集です。そもそも「就活」という題材が朝井さんに合っていたのでしょうか。
朝井 僕にとっては、就活そのものより、「就活している人たち」のインパクトが大きかったんです。一方で、僕はSNS世代であり、コミュニケーションが非常に変わったという実感があります。大学の時に mixi が盛んになり、すぐに Facebook や Twitter が取って代わり、今は Instagram が主流。その変化の中で、使われる言葉はどんどん短くなってきています。省かれる言葉がどんどん増えていっているのに、その部分を想像する機会がないことがとても気になっていました。
佐藤 そぎ落とされた思いや考えがそのまま消えてしまう感じ?
朝井 はい。わずかな言葉で、あるいはほんの少しの情報で人がごっそり束ねられるような、余白のない様子が怖かったんです。その怖さがまさに目に見える状態になったのが、僕にとっては就活の場だったのかもしれません。例えば就活では〈内定のない=ダメ人間〉〈内定のある=すごい人間〉みたいなことにすぐなってしまう。面接にしても、たった三〇分で合格、不合格が決まりますし。
佐藤 朝井さんがもともと抱いていた思いが、就活という題材を得て、爆発した小説だったのですね。
朝井 ただ、就活という舞台が持つゲーム性には、小説を書く上で助けられました。ES(エントリーシート)が通るかどうか、内定を取れるのかどうか、それだけで読者をハラハラさせられますから。
佐藤 今度の『何様』には『何者』より先に書かれた短篇も収録されていますね。
朝井 ええ、『何様』は五年くらいかけて書いた六つの短篇から出来ています。実は、冒頭の「水曜日の南階段はきれい」に登場する光太郎が魅力的な人物だなと作者ながらに思って、『何者』を書く時、借りてきたんですよ。
佐藤 ちょっと『何者』とはテイストが違う感じを受ける短篇ですね。
朝井 当時は著者の朝井くんがまだピュアだったんですよ(会場笑)。それが二篇目の「それでは二人組を作ってください」(『何者』で同棲している理香と隆良が一緒に暮し始めるまでを描いた物語)になると、執筆当時の僕がものすごく苛立っていることがわかりますね。
佐藤 何にイライラしていたの?
朝井 生きていること自体というか、日々MAXイライラしてて、「信号赤かよ、チッ」みたいな、余裕のない時代でした。
佐藤 朝井さんの作品は、厳しいけれどどこかで〈踏み台〉を置いてくれるところがあるじゃないですか。でも「それでは二人組を作ってください」は......。
朝井 自分でもゲラで読み直して、「ここまで書かなくていいじゃん」と(会場笑)。逆に言うと、あのイライラしていた時にしか書けなかっただろうから、結局は書いてよかったと思っているんですが。
佐藤 エンディングがすごいですよね。率直な質問ですが、理香さんみたいな女性は嫌いなのですか。
朝井 それがね、僕、理香さんのこと大好きなんですよ。愛憎半ばが行き過ぎて、抱きしめながら、背中をグサグサ刺している感じで書いています(会場笑)。この短篇の終わり方は、派手にピアノを鳴らして終わる曲みたいですよね。ああいうのは、本篇である『何者』という受け皿があって、その前日譚だから書けた話です。瑞月の父親の不倫を描いた五篇目の「むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった」もそうです。救いのないような話を書いても、本篇で補完されるだろうという安心感がありましたね。
佐藤 その感覚は分かりますが、独立した短篇集としても十分面白かったです。次はどんな作品を書かれる予定ですか? 私が編集者なら、朝井さんにオーダーしたい作品はスポーツものなのですが......。
朝井 次はまさにバレーボール選手を題材に書きたいと思って、『一瞬の風になれ』を持ち歩いて読み返しているところです。
佐藤 バレーボールにははっきりポジションがありますね。
朝井 そこで役割や性格を反映できるのですが、一方で、バレーは同時に全員が別々の動きをするのでどう描くのか。
佐藤 どのくらいの年齢の話を書かれるおつもりですか?
朝井 天才スポーツアスリートが少しずつ〈自分のやっていること、やろうとしていること〉を表現できる言葉を獲得していく過程を書きたいと思っているのです。そのためには長いスパンが必要なので、小学四年生くらいから大人になるまでを書きたいと思っています。全盛期の華やかな時代も、アスリートは三〇歳で引退というような残酷な面も書きたい。
佐藤 引退まで書くとなると、大長篇になりますね。楽しみにしています。
朝井 僕は佐藤さんの書く物語なら何でも読みたいのですが、少年目線の小説はぜひ定期的に書いて頂きたいです!
2016年10月5日 神楽坂 la kagū にて
(さとう・たかこ 作家)
(あさい・りょう 作家)