書評

2016年12月号掲載

火はそこらじゅうにある

――木村友祐『野良ビトたちの燃え上がる肖像』

岸政彦

対象書籍名:『野良ビトたちの燃え上がる肖像』
対象著者:木村友祐
対象書籍ISBN:978-4-10-336132-9

 90年代後半、バブルが崩壊し日本が本格的にデフレに突入していくと、全国の河川敷や公園にはホームレスの姿が目立って増えていった。しばらくの間、対策らしい対策を何も打たなかった行政も、ゼロ年代に入ると住所をもたない路上のホームレスにも生活保護を支給しはじめ、見かけ上の数は激減していった。2003年には全国に2万5千人いたホームレスも、2015年には6500人と報告された。さすがにこれは少なすぎるのではないかと指摘されているが、全体の数が減っていることは確かだろう。
 しかしそういう状況でも、街から河川敷へと追いやられる人々はあいかわらずたくさんいる。この作品の主人公、柳さんもそのひとりだ。ずっと建築現場で働いてきたのだが、現場の事故で体を壊してしまい、あっというまにホームレスになってしまった。いまでは河川敷で、ムスビという一匹の猫と一緒に暮らしている。もうひとりの主人公の木下も、歳はまだ若いのに、働けなくなって河川敷の仲間に加わった。しばらくは牧歌的な河川敷生活が続くのだが、東京が、いや世界がどんどん、悪い方向に向かっていく。経済は悪化し、格差と貧困が拡大していく。そして河川敷にも、女性や外国人など、新しい顔が加わっていく。
 河川敷と対比して、警備員によって守られたゲートのなかの、高級タワーマンションの世界が描かれる。一握りの成功者たちがそこに暮らしているのだが、子どもたちは受験戦争の重圧のもとで心を病んでいく。
 ここでは何が描かれているのだろうか。木村友祐が描いているのは、河川敷のホームレスの悲惨さ、排除される外国人、暴力のもとでくらす女性たち、そして競争の重圧に押しつぶされる中流階級の小金持ちたちだが、それぞれがみな、エキセントリックな存在ではなく、どこにでもいる当たり前の存在である。一方で、私たちの当たり前の生活が、いかに脆く、壊れやすいものであるかが語られる。そして同時に、当たり前の生活を踏みにじって手に入れるべき、塀に囲まれた塔の中の生活もまた、過酷で息苦しい。
 やがて経済がさらに悪化し、河川敷のホームレスも激増していく。そしてそれに呼応して、住宅地では排外主義がはびこり、武装自衛団が街をパトロールする。住宅地と河川敷は、お互いに対する憎悪を加速させ、一触即発の不穏な空気が漂い始める。
 そして河川敷は、街は、「燃え上がる」。河川敷の人びとは、それぞれの人生を背負い、自らの尊厳をかけて、不安と憎悪が生み出した「火」に立ち向かうのだ。
 この火はどこで燃えているのだろう。それは、河川敷で、ゲーティッド・コミュニティで、ドヤ街で、高級住宅地で、駅のホームで燃えている。それは、コンビニで、自動車工場で、教室で、寝室で、キャバクラで、大学で燃えている。それは、秋葉原で、西成で、ディズニーランドで、首相官邸で燃えている。私たちはいま、燃え上がっているのだ。木村友祐は、燃え上がる私たちの肖像を描く。木村友祐が描くべき物語は、そこらじゅうにある。
 私は文学には疎いが、それでも固有名詞のずらし方や後半の人称の転換などに、不必要な力みを感じた。だが、そうした瑣末な点よりもむしろ、この作品の最大の問題は、「短すぎる」ということではないかと思った。文学の領域ではこれからますます、政治的なものが語られるようになるだろう。政治的なものをきちんと「面白い」物語にできる木村友祐の才能は、貴重だ。河川敷やタワーマンションだけでなく、この国の、この街のあらゆる路上の片隅で燃え続ける火が、木村友祐によって描かれることを待っているのだ。

 (きし・まさひこ 社会学者)

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