書評

2016年12月号掲載

「人間関係の技術」を記した名著、30年ぶりの新訳

――D・カーネギー『人を動かす 完全版』

東条健一

対象書籍名:『人を動かす 完全版』
対象著者:D・カーネギー著/東条健一訳
対象書籍ISBN:978-4-10-506653-6

 アメリカ人はプレゼンが得意だ――と言われています。
 しかし、一昔前はどうだったのでしょうか?
「人前に出るとあがってしまい、パニックで頭が真っ白になって何を言っていいかわからなくなってしまう」
「心臓がドキドキして、何も言葉が浮かばない」
 当時のビジネスマンの多くは、こう感じていたそうです。アメリカ人にとって、人前で話すことはたいへんな恐怖と苦痛でした。
 本書の著者D・カーネギーは、こういう時代に活躍し始めました。彼はニューヨークで社会人向けの講座を主催し、「話し方」を多くのビジネスマンたちに教え有名になりました(後にカーネギーは、自分の考えを人前で述べる技術を、『話す力』〈新潮社〉という著書にまとめました)。
 やがてその講座を、大手出版社サイモン&シュスターの編集者が受講。深く感銘を受けた編集者は、プレゼンの技術の次に必要なスキルとして、人とのつき合い方の本を書いてみてはどうか?とカーネギーに提案しました。
 過去に2度、サイモン&シュスターから原稿を没にされていたカーネギーは多忙を理由に執筆を断りますが、編集者は彼の講義を速記してタイプライターで原稿に起こし、下書きを作ってみせます。カーネギーは仕方なく引き受けますが、やがて、自分が書こうとしている原稿の価値に気づきました。真剣に原稿を書き始め、2年以上かけて最終稿を仕上げました。
 最初は、タイトルを『How to Get the Welcoming-In Response(友好的な反応を得る方法)』とするつもりでしたが、やがて『How to Make Friends and Influence People(友人を作り、影響力を与える方法)』にしようと思い直します。
 版元のサイモン&シュスターはそれに難色を示しました。本のデザインをするのに、一文字多いと言うのです。カーネギーはタイトルの中の「Make」という単語を、一文字少ない「Win」に変えました。すると、今度は編集者がそれを気に入りません。
 出版までに日がなかったため、誰もが確信を持てないまま『How to Win Friends and Influence People』は出版され、1936年に店頭に並びました。あっという間に増刷を重ね、アメリカ史上最も影響力のある本の一つになっただけでなく、世界で3000万部以上売れ、世界中に影響を与えました。
 その『How to Win Friends and Influence People』の最新の翻訳が、本書『人を動かす 完全版』です。
『人を動かす』というタイトルの本は、これまでも出版されてきました。しかし、残念ながら、現在流通しているのは、正確にはカーネギー自身の本ではありません。彼の死後かなり経ってから、夫人がもともとの原稿を削除したり、加筆したりして、「改訂版」として出版したものです。カーネギーの存命中には活躍していなかった、歌手スティービー・ワンダーのエピソードまで加えられました。
 私が初めて『人を動かす』を読んだのは大学生の時です。夫人による「改訂版」の翻訳でした。もちろん、感銘は受けましたが、何か言葉にならない違和感も持ちました。
 違和感の正体が分かったのは、後に、同書を原書で読んだ時のことです。当時の翻訳から得たイメージとは違い、原書で触れるカーネギーは、「まだ若さとエネルギーに溢れ、ユーモアとスマイルを欠かさない、やさしい先輩」という印象でした。翻訳では、カーネギーがステージの上から威圧的に講演しているように感じましたが、原書では、まるでカーネギーが隣に座って気楽に語ってくれているようです。私は、原書のカーネギーのほうが好きになりました。もし、自分が翻訳するなら、カーネギーが目指した、わかりやすくて親しみやすい簡潔な文章を再現するのに!
 その長年の思いが結実したのが、『人を動かす 完全版』です。カーネギー本人による完全オリジナル版を、現代的解釈と翻訳で甦らせました。
 夫人が出した「改訂版」を読んだことがある方でも、新鮮な感動と気づきが、何度読み返しても必ず見つかるはずです。
 皮肉にも、今の日本は、初版当時の大恐慌時代のアメリカの状況と似ています。人々の、何とかして収入を上げたい、成功したいという切迫したニーズに応え、多くの成功者を生み出した本書が今、復活するのも時代の必然かもしれません。
 当時も今も、成功の処方箋は同じです。人間の扱い方は、どの時代でも通用する普遍の原則なのでしょう。

 (とうじょう・けんいち 作家)

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