書評

2017年2月号掲載

現代人にこそリアルに響くゲーテ

仲正昌樹『教養としてのゲーテ入門「ウェルテルの悩み」から「ファウスト」まで』

斎藤哲也

対象書籍名:『教養としてのゲーテ入門「ウェルテルの悩み」から「ファウスト」まで』
対象著者:仲正昌樹
対象書籍ISBN:978-4-10-603795-5

 どんな分野であれ「入門書」と銘打った書籍は多いが、それだけにハズレを引いてしまう確率もけっこう高い。入門書といいながら門外漢を寄せ付けないような難解な本、それとは逆に、あまりに薄っぺらい解説に終始するだけの本。どちらも入門書としては失格だ。
 そのなかにあって、著者の手がける入門書の安定感は抜群。とりわけアレント、ハイデガー、ジャック・デリダなど、難解な思想家のテキストを噛み砕いて解説する手さばきは、思想界随一といっていい。
 そんな著者が、今回取り組んだのがドイツの文豪ゲーテの入門書である。
 文学者の顔のみならず、科学者や政治家の顔も持つゲーテとはどのような作家なのか。著者は「市民社会の視点から『人間』を描こうとした文学者」とゲーテを特徴づけたうえで、代表的な著作を読み解きながら、ゲーテの文学・思想のエッセンスを摘出していく。
 取り上げられる作品は、『若きウェルテルの悩み』『親和力』『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』『ファウスト』『タウリスのイフィゲーニエ』の六作。手際のよいガイドに従って読み進めていくにつれ、ゲーテが描こうとした、近代市民社会を生きる「人間」が浮き彫りになってくる。その構成の妙にまず感服する。
 あらすじはもとより、時代背景、作品のテーマ、ゲーテの人生との関係、先人の読解例など、個々の作品に対する解説のテンポや深度も、入門書としていい塩梅だ。読解面では、『若きウェルテルの悩み』にルソーの影響を読み取ったり、『親和力』をデリダの「エクリチュール」と「パロール」の緊張関係から読み解いたりと、随所に見せる著者ならではの思想的解釈が本書の読みどころだろう。文学好きだけでなく、人文科学、社会科学に関心をもつ読者にとっても刺激的なトピックが詰まっている。
 著者によれば、ゲーテは「自分自身が割り切れない存在であり、長く生きるほど自分自身が分からなくなってきたという人に、お勧めの作家」だという。いまや私たちは、近代の理想を素直に信じることができなくなった「割り切れない」社会に生きている。とすれば、ゲーテが描き出した、近代人に巣食う矛盾の数々は、近代のどん詰まりで右往左往する現代人にこそリアルに響くのではないか。
 本書の読後、評者は、長らく書棚の肥やしになっていた『ファウスト』を取り出し、読み始めた。原典を読んだ気にさせるのではなく、読みたい気にさせる。いい入門書は、次の一冊へ手を伸ばす好奇心を掻き立ててくれるのだ。

 (さいとう・てつや 編集者・ライター)

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