書評
2017年2月号掲載
死に臨む者をみたす豊饒な生
――武内涼『駒姫 三条河原異聞』
対象書籍名:『駒姫 三条河原異聞』
対象著者:武内涼
対象書籍ISBN:978-4-10-101551-4
これは、武内涼(たけうちりょう)にとって、新飛躍を試みた作品だ。
「凶事(まがごと)が生んだ鋭気が、普段は静かな山内を掻き乱していた」――とは、武内涼らしい書き出しである。二〇一一年に『忍びの森』でデビューして以来、ファンタジーとも接する時代伝奇ものを主たるステージに、うごきのはげしい変事と変異を、あるいは華麗に、あるいはグロテスクに、次つぎに実現させてきた作家らしい、物語幕開けの言葉であろう。
文禄四(一五九五)年七月十五日。高野山の大石灯籠前で、三千の兵と、三十人の山伏が、蝉時雨(せみしぐれ)をあびながら睨みあっていた。側室の淀君(よどぎみ)が生んだ鶴松(つるまつ)が亡くなると、秀吉(ひでよし)は甥の秀次(ひでつぐ)に関白職を譲り、みずからは太閤と称して無謀な「朝鮮出兵」に力をそそいだ。しかし、淀君にお拾(ひろい)(後の秀頼(ひでより))が生まれるや、次の関白にしたいと願う秀吉は、邪魔になった秀次を謀反の疑いで高野山へ追放、ばかりか切腹を迫った。
暴君の理不尽な命をかざす福島正則(ふくしままさのり)ひきいる兵に、殺生禁断の場にして世俗的権力のおよばぬ聖域(アジール)で、しかも学侶、行人、聖(ひじり)の三身分の者が等しく発言権をもつ高野山側は一歩も退かない。だがこの時代、もはや高野山には言葉の力のほか、秀吉に現実的に対抗しうる力はなかった。それでもなお自分を助けようとしてくれる僧たちに迷惑をかけられぬと、秀次は自刃を決断する。
凶事は最悪の結末へ、よく知られた歴史的事実そのままに秀次はあっけなく死ぬが――、その瞬間、他の誰にも気づかれぬ変事が秀次に出来する。「剣が打ち下ろされ、首が飛んだ。/首が飛んでも秀次にはまだ意識があった」。
ただし、これが変事なのはたしかにしても、真におどろくべきは、浮遊する意識にうかぶ、なんの変哲もない生の光景である。「見渡す限りの青田が眼前に開けていた。/おさなき日、岐阜から尾張乙の子村まで延々と歩いた記憶がある」。母のともがいて、朝鮮出兵で死んだ弟の秀勝(ひでかつ)が赤ん坊で、みすぼらしい格好の父、弥助(やすけ)がいる。蒸された草と稲の香りが秀次をつつみ、水路に足を入れれば心地よい水の感触が......。そんな生の光景を静かにだきしめながら秀次は、あとに残される母と父、妻、女たち、子どもたちにわびた。
死への恐怖でも、秀吉への呪詛でもない。神仏への願いでもない。死につづいて秀次におとずれたのは、家族のそろう或る日の記憶と皆への愛おしみだった。死に臨むひとりの人間の内面に出来する、生の鈍いかがやきと、人びとへの感謝、これを変事とよばずなんとよぼう。いや、変事、変異でもたりない。奇跡にちかいなにか、なのである。
もっとも物語はまだ幕を開けたばかり。ここまでは「序」で、つづいて「一章」がはじまり、秀次の死のほぼ一カ月前、側室になるため山形から都にのぼる駒姫(こまひめ)(最上義光(もがみよしあき)の娘)が、一五歳の瑞々しい姿で登場するのだが、わたしは、秀次の奇跡をまのあたりにしたとき、本作品が武内涼の新飛躍の実現であるのをはやくも確信した。そして確信はつよくなりこそすれ、よわくなることは最後までなかった。
『忍びの森』はもとより、『戦都の陰陽師』、『忍び道』、『妖草師』などのシリーズもの、また、『吉野太平記』、『秀吉を討て』などまで、武内涼がえがきつづけてきたのは主に忍者すなわち歴史の陰にひそむ者たちが、次つぎにくりだし歴史をゆさぶる極彩色の変事、変異であった。そんな変事が、ここでは、歴史を生きる者一人びとりの内面に、どこまでも尽きぬ生の豊饒さとして、奇跡のごとく降臨するのだ。
八月二日に三条河原で、秀次の子どもたち、正室、側室らと処刑されるまで内的成長をやめない駒姫。同じく処刑され、『太閤記』に名前、歳、最上衆であるとだけ記された人物で、作者に駒姫の溌溂たる侍女としてえがかれた「おこちゃ」。秀吉の前で誰も異論を述べることのできぬ事態を嘆く義光。その軍師で駒姫助命に奔走する堀喜吽(ほりきうん)......。読者はぜひ、登場人物たちそれぞれの、逆境にあってこそかがやく豊饒な生の出現にたちあってほしい。こんな、一人びとりの生の豊饒だけが、人の歴史に希望を灯す。
本作品で新飛躍は成った。武内涼には、さらなる新飛躍をもとめよう。伝奇ものと歴史ものを互いに高めあうことのできる、現在数少ない歴史時代小説作家として。
(たかはし・としお 文芸評論家・早稲田大学教授)