書評・エッセイ

2017年3月号掲載

腹に響く没入装置

『ビニール傘』岸政彦

林雄司

対象書籍名:『ビニール傘』
対象著者:岸政彦
対象書籍ISBN:978-4-10-350721-5

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 バーチャルリアリティ装置を体験したことがある。
 専用の小型ディスプレイを頭に装着すると360度の映像を見ることができるのだ。周囲に広がるのは海辺だったり、城のなかだったり。まるでそこにいるかのような没入感を得ることができる。
 この「ビニール傘」もそれに負けないぐらいの没入感が得られる小説である。
 バーチャルリアリティ装置は外せば「あーおもしろかった」で終わりだが、本書は読み終わってもその感覚が消えない。手に小説のなかのギシギシとした手触りが残っている。
 幹線道路の路肩にたまる黒い粒を、陽の当たらない部屋で寝ている女の髪を、ユニットバスの便座の裏にこびりついているであろう汚れを。書いてないところまで思い出せる。
 この没入感を出すために著者は細かく何度もディテールを描き込んでいる。
 そして小説から空間と時間のつながりも抜いてしまった。辻褄から解放された生活の断片はより一層エッジが際立って高解像度である。その断片から断片に飛ぶのもまたバーチャルリアリティ的である。
 小説で没入感を味わうのは珍しい話ではない。カフカを読めば虫の気持ちになるし、山月記を読めば虎になる(わざとわかりやすい例を出していますよ)。むしろ小説はそういうエンターテインメントだろう。
 だからこそ、著者は社会学者でありながら小説という手法を選んだのではないか。
 一昨年の『断片的なものの社会学』では著者・岸政彦がストーリーテラーとして断片を繋いでいた。
 しかし今回は岸政彦がいない(時間と空間をジャンプするときに必ず登場するカップ麺の空き容器が実は岸政彦ではないかとにらんでいる。テレビ番組「はじめてのおつかい」の隠れスタッフのように)。
 だから、我々はおつかいする子どものように自らの耳を傾けるしかない。そして思う存分もやもやするのだ。
 つまりそれは、結婚しているのに別の女性とダムに行ったら珍しい鳥を見てしまい、地元の人に話したら「ふだんの行いがいいからですね」と言われたという知人の話(いろいろ間違ってる!)を聞いたときのような思いである。
 うまく説明できないから例を出すしかない感情だ。
 本書はそれをじかに味わわせるためのバーチャルリアリティ装置である。
 そしてしびれるような読後感のなかで気付くのはこれが全然バーチャルではなく、いまあるリアルであるということだ。
 いま、この瞬間も、あの空間は、続いているのだ。
 なんて腹に響く没入装置を作ってくれちゃったんだろう。

 (はやし・ゆうじ デイリーポータルZウェブマスター)

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