書評

2017年4月号掲載

絶望のさなかの言葉の杖

――ジュリアン・バーンズ『人生の段階』(新潮クレスト・ブックス)

いしいしんじ

対象書籍名:『人生の段階』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:ジュリアン・バーンズ著/土屋政雄訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590136-3

 そのかたちでしか語り得ない物語がある。そのかたちでしか向き合えないかなしみ、というものがある。
 三章仕立て。第一章は、十九世紀の気球乗りたちの、風に任せた冒険が語られる。「危険であることはみなが承知していた」。上にいけば、それは必ず下へむかう。指標のない上空の一点では、乗っている本人にも、気球が上昇しているか、それとも下降しているかさえわからない。「羽根を一つかみ放って、それが上へ行けば気球は下降中、下へ行けば上昇中」。羽根のない人間が空へ挑むことは神への挑戦にほかならない。
 フェリックス・トゥルナション。別名ナダール。才気煥発、支離滅裂。愛妻家だった。それまで組み合わされたことのないふたつのもの、写真、と、飛行術、を組み合わせた。航空写真。神の視点。そのとき、世界は変わった、とバーンズは書いている。結婚して五十五年後の一九〇九年、妻エルネスティーヌが地に下り、方向感覚を失ったナダールは落下する。翌年、動物たちに囲まれて没す。
 第二章は、気球愛好家でもある、ふたりの男女の、絶望的な恋愛が語られる。これまで一緒だったことのないふたりの人間が、思いもよらず一緒になること。ここで小説の舵がゆっくりと切られる。女優サラ・ベルナールと冒険家フレッド・バーナビー。人間は恋愛の羽根によって垂直に飛翔し、ときに神の高みまで達する。そして、飛翔と同じか、それ以上の速度で、きりもみしながら地表へ叩きつけられる。「すべての恋愛は潜在的に悲しみの物語だ」と、バーンズは書く。
 恋人たちは手紙を送る。伝書鳩や気球で。郵便飛行機で。やがて燃やされるにちがいない手紙を。読まれるかどうかさえわからない手紙を。しかし恋の冒険家たちは、読まれるほうに賭ける。手紙がとどくほうに。永遠の声がきっと、きこえてくるほうに。
 三章。作家は喪失の物語を、声を絞り出して語る。「診断から死亡まで三十七日」と。「歪んだ明晰さを得た」と。この小説自体をいいあらわすことば。「歪んだ明晰」。
「私の命の核、核の命」と、バーンズは書く。その妻を亡くす。世界は欠けてしまう。もはや一瞬前とさえ、同じかたちをしていない。ほかのどんなピースも当てはまらない。
 バーンズの作品では、世界は物語の断片、エピソードでできている。時間と声が、一見ばらばらのそれらを、魔法的な手際でつなぎ合わせる。風に、自然に吹き集められたかのように。ふしぎなくらい、作家の手を感じない。作家は風を信じ、風は作家にこたえる。気づかぬうち、ときに作家の内から、風は吹き出ていたかもしれない。それは作家にもわからない。でもそうとしたら、その風はたしかに、「命の核、核の命」から、吹き寄せていたのではなかったろうか。
 悲しみにくれているだけにみえ、作家はいじわるなくらい冷静で、そのことばには、諧謔、ひねくれたユーモアがにじんでいる。しかしど真ん中に、まっすぐで真っ黒い、かくしようのない穴があいている。
「私は妻にふたたび会えるなどと思っていない」と、作家は書く。「姿を見ることも、声を聞くことも、この腕に抱くことも、ともに笑うことも、もうない」と。だがこうも書く。「作家は、自分の言葉が作り出すパターンを信じる」と。「悲しみに打ちひしがれていようが、悲しみとは無縁だろうが、それがいつの世でも作家の救いとなる」と。
 おそらく、きわめて短い時間のうちに、この作品は書かれた。ひょっとして、「三十七日」より短い時間に。これは手紙なのだ。小説という冒険をえらびとったものの手紙。絶望のさなかにも、言葉の杖を手探りせずにいられない、盲目者の手紙。手紙は飛ばされる。宙へ。誰もいないかもしれない空間へ。一つかみ取って放られる羽根のように。
 それは届いたのか。
 小説家が賭けに勝ったのか、それは本人しかわからない。本人にも、わからないかもしれない。でも、きっと、声はきこえたのだ。そうですよね、ミスター・バーンズ? だからあなたは、この小説を書き終わった。そしてまた書きはじめる。それがほんの少しでも世界を変えるから。風で、目にみえないほど遠くへ飛ばされてしまったひとが、いまも空の高みで、上昇し、下降しながら、こちらを見つめてくれていると、あなたには、信じられるから。

 (いしいしんじ 作家)

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