書評・エッセイ

2017年4月号掲載

文学が私にぶつかってきた

――米本浩二『評伝 石牟礼道子 渚に立つひと』

田中優子

対象書籍名:『評伝 石牟礼道子 渚に立つひと』
対象著者:米本浩二
対象書籍ISBN:978-4-10-101851-5

 大学に入ったばかりの18歳のときのことである。法政大学の古代文学の教授であった益田勝実が、授業で石牟礼道子の『苦海浄土 わが水俣病』(この後『苦海浄土』と略す)の一節を読み始めた。その「音」に私はたちまち巻き込まれ、一瞬のうちにその世界に飛んだ。魂がどこかへ連れて行かれ、私は別世界にいた。
「これはいったいなに? この言葉、この音、この世界は未知のもの。しかし、とてもよく知っている。これ、文学? こういう文学が、世の中にあるのか?」
 その時に感じた衝撃は「理解」を超えていた。「分かる」つまり分ける、分類することで納得するたぐいのものでなく、ジャンルという発想を超えて音としての言葉が直接ぶつかってくる。私のもっていた文学概念がいかに狭いものか、思い知らされた。一九七〇年、『苦海浄土』刊行翌年の出来事だった。この経験は、後に私が江戸文化と出会ったことと無縁ではないと思っている。
 この作品はノンフィクションか小説か話題になった。分類は意味がない。しかし文学であることは間違いがない。もっとも近いものがあるとすれば、それは詩歌だろう。医学用語による医療記録と水俣の人々の声を包み込んだ長大な歌なのである。そしてまた、古代文学者であるとともに民俗学に造詣が深かった益田勝実によってそれが伝えられたことを、私は後に納得した。石牟礼道子の世界は古代文学と地続きであり、学問としての民俗学が扱う領域を含み込んでいる。つまり、近代によって浸食された前近代の最後の修羅場が、ここにあった。
「ここ」とは、私は水俣であると思っていたが、石牟礼道子を読み進めるうち、次第に「ここ」とは石牟礼道子そのものだと思うようになった。本書は評伝として、そのことを明確に書いている。すなわち、石牟礼道子は前近代たる生き物の魂の世界に住み着いている人であり、その言葉は、世界を犯し汚す近代を可視化させるものである。本書はそのことを描ききった。
 たとえば『苦海浄土』が書かれる前の石牟礼道子の文学活動やその世界を丹念に書いている。その結果として、『苦海浄土』が水俣の地で書かれるべくして書かれたこと、職人や海の生き物たちとともに育ち、詩歌文章によってこの世に生きる苦しさを自ら救済してきた石牟礼道子だからこそ書けたことが、実によくわかる。本書は「石」から語り始められる。石牟礼姓は結婚してからの姓だが、道子は石工職人の家に生まれた。そして結婚という制度に納得できず苦しみながら谷川雁らの「サークル村」を拠点とし、「世界で一番小さな書斎」と自認する、身がはみ出てしまうような空間でものを書き続けた。「サークル村」では、森崎和江が「聞き書き」という方法で炭鉱に取材に入っており、『苦海浄土』の方言記述のもとがそこにあったことも納得できる。
 一九七〇年の厚生省突入、大阪での株主総会への巡礼姿による乗り込み、その後のチッソ東京本社の占拠などは、実にスリリングに展開する。この経緯は石牟礼道子自身が詳細に書いているので、それを読めばよいわけだが、本書のようにここに至るまでの石牟礼道子の思いを基礎に、複数の文献や証言によって再構成してこそ、この運動のもっていた画期的な意味が浮かび上がってくる。「再構成」と書いたが、「石牟礼道子論」は可能なのか? という問いが以前から私の中にはあって、やはりその方法は編集であり再構成なのだろうと考えている。たとえば9章の「流々草花」では、筆者はインタビューした石牟礼道子の語り口を書き込んでいる。これがとても良い。やはり石牟礼道子の世界は音の高低、くぐもり、変転などの身体的要素が決定的な役目を果たす。
 18歳のときのあの経験はいったい何だったのか。この評伝もまた、そう思いながら読んだ。深く潜んだ魂(あるいは身体性)を揺り起こすのが文学の働きだとすると、あのとき本来の文学が、私にぶつかってきたのだ。本書でそのことが理解できた。

 (たなか・ゆうこ 江戸文化研究者、法政大学総長)

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