書評

2017年4月号掲載

神楽坂ブック倶楽部発足!イベント詳細

いい大人が本気で遊ぶ本の文化祭 in 神楽坂

南陀楼綾繁

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 金曜夜十二時の神楽坂。表通りの喧騒はまだしばらく続くだろう。しかし、ひとつ横道に入ると、嘘のように静かになる。まばらにしかない街灯の下で、「神楽坂ブック倶楽部文芸地図」を開く。この地にゆかりのある作家たちの足跡を記したイラストマップだ。
 今いるところは、「いつも不機嫌そうな顔をしていた」正宗白鳥の旧居跡あたり。その手前には、稲垣足穂や井伏鱒二が通った飯塚酒場があった。梅崎春生は『悪酒の時代』というエッセイで、戦時中のこの店のことを書いている。ここで飲む客は近くの白銀公園に集結して、店の前まで行進したという。
 尾崎紅葉の旧居跡や色川武大の生家跡を通り過ぎると、新潮社クラブに着く。作家が滞在して原稿を書く、いわゆる「カンヅメ」のための施設だ。二階建ての邸宅で、もとは新潮社の社主・佐藤家に縁のある家だったという。一九六〇年代にはクラブとなり、多くの作家がここに泊まった。私のいる一階の部屋には、開高健が半年も滞在していたらしい。ネットには、この部屋には彼の幽霊が出るという噂が載っているらしい。Yさんという女性が住み込んでいて、細やかに世話をしてくれる。
 作家でもない私がココに泊まっているのは、「神楽坂ブック倶楽部」の手伝いをしているからだ。
 神楽坂ブック倶楽部は、地元の老舗店による「神楽坂おかみさん会」と、新潮社などの有志で結成された。新潮社は、一八九六年(明治二十九)に現在の市谷で新声社としてはじまった。神楽坂矢来町に社屋を建てたのは、一九一三年(大正二)のことだ。それから百年以上が経った。二〇一四年には神楽坂駅前の新潮社の倉庫が、商業施設 la kagü として生まれ変わり、これまで静かだった矢来町にも多くの人が歩くようになった。そのような状況を踏まえて、「神楽坂の出版社」としての新潮社をアピールしたいという意図があるようだ。
 神楽坂で本に関する活動をしようと結成してはみたが、さて、何をやるか。倶楽部の新潮社メンバーは、わずか六人。ベテラン編集者のクスノセさんを筆頭に、若手女性編集者のササキさんとツルガさん、ほかに経理、ウェブ、デザインの担当者がいる。la kagü の裏にある北別館というプレハブに部屋を与えられたが、いまのところ社内でもほとんど存在を知られていない、いわば独立愚連隊だ。ふだんの仕事の合間にこの部屋に集まっては、思いついたことをあれこれ云いあう。大人の部活動みたいなものだ。この街で一箱古本市をやろう。
 一箱古本市とは、ひとりの店主がひとつの箱に古本を詰めて販売するイベントだ。屋号を決め、本を選び、値段をつけ、並べ方を工夫し、看板をつくる。お客さんとの対話を愉しみつつ、本を売る。これは、一日だけの「本屋さんごっこ」なのである。もともとは二〇〇五年に谷中・根津・千駄木で「不忍ブックストリートの一箱古本市」としてはじまり、その後、全国各地に広がっている。そこで、その不忍ブックストリートの代表であり、本のイベントをよく見ている私に声がかかったのだ。
 各地の一箱古本市では、商店街やお寺などの一か所にずらっと箱が並ぶことも多いが、不忍ブックストリートでは街のなかのお店や施設を借りて、その軒先に箱を並べている。大家さんと呼んでいる出店スポットは毎回十数か所になり、ぜんぶを一回りするのには半日以上かかる。雨になった際の避難場所も確保しなければならないし、それぞれにスタッフを配置するのも大変だ。それでも、こういうかたちで開催しているのは、路地や横丁の多い谷根千の街を散歩しながら、本に出会ってほしいからだ。
 あらためて神楽坂の街を歩いてみて、谷根千と似ているなと思った。どちらも作家が多く住んでいて(漱石は両方に住んだ)、神楽坂には新潮社があり、千駄木は講談社の創業の地である。坂があって、細い道が多い。寺社が多く、古い建物も残っている。老舗と云われる店がある一方で、若い人たちに人気の店もある。そこで、神楽坂でもさまざまな場所の前に出店することにした。
 一箱古本市の開催は、三月十一日と十二日の二日間。前日には、神楽坂ブック倶楽部企画で、二つのイベントがあった。la kagü では、字游工房の鳥海修トーク「書体で世界はがらりと変わる!」。坂下のギンレイホールでは「筒井康隆ナイト」(十一日も)。この日はオールナイト上映の前に、作品を選んだライムスター宇多丸さんのトークもあった。どちらも満員御礼で、大いに盛りあがった。
 そして迎えた、一箱古本市初日。天気は快晴で、クラブの庭には明るい日差しが射し込んでいる。野外イベントは天気さえ良ければ、もう八割がたは成功と云える。例の部室に顔を出すと、倶楽部メンバーが揃って、店主さんに出店する一箱用に貸し出すワイン箱や、出店場所に立てるのぼりを準備していた。昨夜も配布する地図を数えながら、みんなで「内職してるみたい」とボヤいていたが、イベントの運営というのは大半そういうもんです。
 今回の出店場所は十一カ所。大久保通りを挟んで、坂の上は la kagü、かもめブックス、高齢者福祉施設神楽坂、コボちゃん像前など。ギャラリーの五感肆パレアナでは、関連企画の「新潮社の装幀」展も開催中だ。「純文学書下ろし特別作品」シリーズ全点をはじめ、代表的な刊行物が展示されている。十二日は福祉施設の代りに赤城神社が加わる。
 坂の下は、毘沙門天善國寺を中心に、龍公亭、東京神楽坂組合(見番)など。本多横丁を入った先には、石合家駐車場とアン・ガトー前に出店。後者は黒塀の風情ある通りだ。場所の広さによって、二箱〜八箱と置ける数が変わってくる。
 店主さんは各日三十箱。両日参加の店主さんも六、七人いた。不忍はじめ一箱古本市の常連も多く、慣れないスタッフを助けてくれる。また、十人ほどが助っ人さんとして、地図を配ったり客の誘導をしてくれた。
 土日の神楽坂は多くの人でにぎわい、日曜日には歩行者天国にもなる。それだけにかえって、一箱古本市というイベントに立ち止まってもらうのが難しい。もっとも、毘沙門天では、一箱古本市以外に、早稲田・目白・雑司が谷の古書店グループ「わめぞ」による古本市があり、十二日には日本出版クラブ会館で出版社の出店やトークイベントなどを行なう「本のフェス」があったので、この日に神楽坂をめざして来た本好きは多かったのではないか。
 横丁の箱には、誰も来ないのではないかと心配したが、意外に訪れる人が多くてホッとした。その一方、天気は良かったが風が非常に強く、場所によっては店主さんはずっと寒さに耐えながら本を売っていた。
 店主さんは東京以外に仙台、富山、長野、千葉などから参加した。若い頃に住んでいたり、近くに勤めていたりと、神楽坂との縁を感じて参加した人もいる。販売する本も、この地らしく、江戸や東京に関する本、酒や食べ物の本などが多く目についた。また、二冊の本をシャレたパッケージにまとめる「ネコノツメ」や、タイトルを隠して冒頭の一文だけ見せる「古書万華鏡」など、売り方に工夫する箱もあった。
 地元の出版社である「週刊読書人」は、編集部に眠っていた本を出品。北井一夫の写真集『三里塚』(のら社)を七千円で出していて、貴重な本だけど売れないだろうなあと見ていたら、終了五分前に自転車で通りがかった女性があっさりお買い上げになった。ある美術館の方だそうで、こういう出会いが起こるところに、神楽坂という街のポテンシャルがあるのだろう。また、文化放送「くにまるジャパン極」のスタッフも箱を出してくれた。
 さらに、SF作家の宮内悠介さんも「カブールの市(バザール)」の屋号で参加し、小説の資料にした本を並べた。捕虜収容所や精神医学など専門的な本が多かったが、宮内さんの「こういうところが面白いですよ」という一言に財布を開く人が続出で、ほぼ完売したのはさすがだ。
 一箱古本市に立ち寄りつつ神楽坂を歩いてみると、これまでとこの街に対する印象が変わったようだ。いま目に見えている風景の向こうに、作家たちが行き交ったかつての神楽坂が立ち上がってくる。
 十二日十六時、一箱古本市は終了した。片づけを終えてから、店主さんと助っ人さんが参加する打ち上げが、新潮社の食堂で行なわれた。普通の人が出版社に入る機会なんてめったにないので、みんな喜んでいる。乾杯のあとで、プレゼンターが選んだ箱を表彰した。私は、夫婦で楽しそうに出店していた「かめこばこ」さんに賞を差し上げた。
 解散してから、新潮社メンバーともう一杯飲む。いろいろ反省点は多いけど、ふだん接することの少ない、根っからの本好きの人たちの顔を見ることができたのがよかったそうだ。つまり、出版社にとっての一番のユーザーがどんな人たちかを知る機会になったのだ。たしかに、いまは、本をつくる側が一方的に発信する時代ではなくなっている。本のイベントで生まれた読者とのコミュニケーションを、今後の本づくりに生かすことができるかもしれない。
 よちよち歩きをはじめた神楽坂ブック倶楽部だが、サポーター会員を募集中。今後も、本に関する企画を続けていくそうだ。次に一箱古本市を開催するなら、もっと多くの作家や各雑誌の編集部に、箱を出してもらえると盛り上がるだろう。社員がみんなで本気で遊ぶ、神楽坂を舞台にした「本の文化祭」に発展してほしい。
 ちなみに、新潮社クラブに滞在した三日間、開高さんの幽霊とは出会えずじまいでした。

 (なんだろうあやしげ ライター、編集者)

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