書評
2017年4月号掲載
今月の新潮文庫
“ざわっ”としてます
竹本健治『かくも水深き不在』
対象書籍名:『かくも水深き不在』(新潮文庫)
対象著者:竹本健治
対象書籍ISBN:978-4-10-144603-5
ざわっ。
読んだ瞬間、とても"ざわっ"とする短編集だと思う。
"幻想小説"? んー、そんな感じも、ない訳じゃない。でも、ちょっと違うかも。"ホラー"? んと、違うな、いや、ホラーっぽい処もあるんだけれど、そう言い切っちゃうと多分違う。"ミステリ"? いや、そう言える奴もあるんだけれど、そういう部分はどの作品にもあるんだけれど、これまた違う。
もう、何とも言いようがない。全体的なトーンとしては、ざわっとする短編集なのだ。
一話完結の短編が四話続いているので、お話の中でみれば、確かにどのお話も終わっている。でも......なんか、ざわざわしたものが残って、そのお話、お話としては終了していても、読者の気分として、終了している気にまったくなれない。すんごく、"ざわざわ"したものが残る。"言い残された"ことが絶対にあるって確信できてしまう。
しかも、これは、短編集であって、短編集ではない。
まったく別個のものだと思われていた四つの"ざわっ"が、最後のひとつで、纏まる。まあ、こういう形態のお話は、"連作短編"って言われていて、最後で、"連作短編"は、ひとまとまりのお話になる。そして、そこで、安定する。
あ。ここで、誤解した読者の方がいるかも。
うんうん、連作短編って、そういうものだよね、おのおの完結している筈の短編では、何だか消化しきれない"なにか"があって、それが連作短編として纏まった時、"なにか"はひとつの形をなす。そして、やっと、そのお話、完成。
いや、このお話がそういうものならね。というか、それが普通の連作短編なんだけどね、なら、私は、こういう文章の書き方をしていない。
うん、この本は、最後の纏めがあっても......そこで、安定してくれないのだ。お話としては終わっている癖に、各エピソードが纏まった筈なのに、それでも、いつまでも、ざわざわし続ける。纏まった癖に、終わった癖に、それでも、まだ、ざわっとしているのだ。
あー。竹本さんだー。
心からそう思ってしまった。
いや、竹本さんのお話って、いっつも、そうなんだよね。
そもそも、デビュー作が、『匣の中の失楽』だもん。これをミステリだと思って読むと、(いや、ミステリなんですけど。すんごいペダンチックで、枝葉末節がどえらく楽しいミステリなんですけど)、最後の最後で、「え! それで結局!」って読者は叫ぶことになるだろう。二作目が『囲碁殺人事件』から始まるゲーム三部作。これ、『囲碁』は普通のミステリ、それも王道を行く綺麗なミステリだったんだけれど(でも、ざわついている処がある)、『将棋』『トランプ』って続いてゆくと、どんどん何だか「えと?」「......あの?」になってゆき、最終的に、「えっとお、ミステリって、こーゆー形態のお話なんだっけ......かな?」って、呻いてしまうことになる。
うん。私は、個人的に、ミステリっていうのは、広げてしまった風呂敷を綺麗に畳むお話だと思っているのね。そんで、竹本さんのミステリは......うん、風呂敷を、畳もうとする"ふり"は、してるのね。でも、それ、"ふり"だけ。実際の処は、全然風呂敷畳んでくれなくて、むしろ、読者の目を盗んで、こっそり風呂敷を広げている感じがある。
そんで、そっからあとは、まあ、もう、竹本さんやりたい放題。いつだって、竹本さんのお話は、読み終えたあとで、何だか地軸が揺らぐような、陽炎が世界すべてを覆い尽くすような、"くらっと"感があるのだ。
地に足がついたお話が、結構今、受けてるじゃないですか。だから、こんな今だからこそ。
地軸が揺らいでしまうような、世界がすべて陽炎の中にあるような、こんな、"ざわっ"としているお話って、楽しめるんじゃないかなって思う。
(あらい・もとこ 作家)