書評・エッセイ

2017年5月号掲載

俳聖・芭蕉の正体は?

――嵐山光三郎『芭蕉という修羅』

藤原作弥

対象書籍名:『芭蕉という修羅』
対象著者:嵐山光三郎
対象書籍ISBN:978-4-10-141913-8

『おくのほそ道』の冒頭は中学三年の国語(古典)の授業で、暗誦させられた。そのときは意味もわからず「ツキヒハハクタイノカカクニシテ......」とお経のように覚えたものだが、そのうち芭蕉の言霊(ことだま)が躯(からだ)にしみてきた。
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 右は嵐山光三郎氏の近刊『芭蕉という修羅』からの引用だが、私の少年時代の記憶にそっくり当てはまる。この文章は李白の「夫(ソ)レ天地ハ万物(バンブツ)ノ逆旅ニシテ、光陰ハ百代ノ過客ナリ」に由来するが、冒頭の書き出しはさらに「行きかう年もまた旅人なり」と続き、「日々旅にして旅を栖(すみか)とす」や「古人も多く旅に死せるあり」など芭蕉の"人生は旅"の哲学論を展開している。
 中学時代にその芭蕉の感化を受けて「追っかけ」になった嵐山氏は大学時代に3週間かけて「奥の細道」の全ルートを踏破、さらには自らも俳諧を業とする徘徊人として旅を愛するようになった。芭蕉に惚れ込んだ嵐山氏はさらに『芭蕉紀行』『悪党芭蕉』などの著作を通じて芭蕉という奥の細道を旅しながらその正体を探求するのだが、その間に氏の芭蕉観も大きく変化していく。
 その決定版ともいうべき総括が本書であろう。芭蕉は俳聖と奉られて聖人視されているが、すでに芥川龍之介は"大山師"と喝破し、子規は作品の大半を"悪句駄句"と批判した。そして今、嵐山氏は「悪党」呼ばわりしたあと「修羅」と位置づけるに到った。修羅(阿修羅)とは古代インド神話の「悪神」つまり、芭蕉は嵐山氏にとって聖人から悪神に昇華した人間なのである。人間とは欲望の塊り。本書を読むと、芭蕉がモノ、カネ、名声......あらゆる欲望を希求した人物であることが、数々の傍証的エピソードによって良く判る。
 例えば人間の欲望の最たるセックスについてだけみても芭蕉は典型的なLGBT(性的少数者)だった。衆道の盛んな江戸時代だが、絶えず美少年を追い駆ける反面、寿貞という尼僧と世帯を持ち、ちゃんと子供を儲けている。
 芭蕉が最も名声を追い求めたのは、風雅の先達である西行という求道的紀行詩人に憧れたからであり、同じ俳諧道で切磋琢磨するうちに、浄瑠璃の世界で大成した文学者・西鶴に対するライバル意識もあった。だが、芭蕉は、飽くまで当時の(彼にとっての)"総合芸術"である俳句道にこだわった。紀行文である「おくのほそ道」一篇にしても定本が完成するまで推敲に推敲を重ね、ブラッシュ・アップしている。
 いくつかの仮面を被った芭蕉という人間の顔の中で、嵐山氏が推理小説よろしく追及するのが、幕府の隠密としての役割りだ。「おくのほそ道」は日光東照宮の建設の命を受けた仙台藩伊達家の実情を探索する密命行脚。実は、プロの密偵・曾良を帯同した"ミッション・インポッシブル"的プロジェクトだった!?
 嵐山氏によれば、スパイ稼業は「観察眼にすぐれた俳諧師ならではの任務で、曾良の調査力と芭蕉の直観が合体すれば、情報の精度が増す」と推理、そうした特性を活かして芭蕉と曾良はまず日光東照宮の建設工事を念入りに偵察した。そして仙台から松島を経て石巻では、北上川流域に治水と開拓によって新田や新港を築き、名目62万石ながら実質100万石といわれる穀倉地帯の本石米を江戸へ送り込む仙台藩のインフラ事業を丹念に調査した......。
 偶々、仙台出身の私が最も強い関心を抱いたのは、芭蕉が宿泊した大崎庄左衛門邸が大町と奥州街道が交叉する目抜通りの国分町だったということ。現在、その四つ角は日銀・仙台支店などがある金融中心街で、「芭蕉の辻」と呼ばれている。昔、わが家の居間にも殷賑を極めたその「芭蕉の辻」の錦絵版画が掛けてあった。
 その点を地元の郷土史家に確認すると、実は元禄・徳川綱吉時代の芭蕉以前に、家康時代の慶長年間に伊達政宗が密偵として日本全国を探らせていた芭蕉という名の虚無僧がその四つ角に住んでいた、とのこと。虚無僧・芭蕉は徳川家康の動静調査の恩賞として伊達政宗からその一等地を賜わったのだった。江戸初期には芭蕉という名のスパイが2人いた訳けである。
 オット。話が横道に逸れたが、芭蕉・密偵説はともかく、本書『芭蕉という修羅』の私の読後感は、嵐山光三郎氏が枯淡の俳聖と崇められる松尾芭蕉という人物を腑分けしてその実像に鋭く迫った異色の歴史的推理ノンフィクション――である。

 (ふじわら・さくや 作家・元日銀副総裁)

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