対談・鼎談

2017年5月号掲載

『鬼門の将軍』刊行記念対談

平将門vsサイコパス

高田崇史 × 中野信子

『鬼門の将軍』で将門怨霊伝説を徹底検証した作家。『サイコパス』が大きな話題を呼んだ脳科学者。
二人が歴史のミステリーを科学する。

対象書籍名:『鬼門の将軍』
対象著者:高田崇史
対象書籍ISBN:978-4-10-120074-3

高田 僕が中野さんを知ったのは、NHK‐BSで「英雄たちの選択」という番組を拝見した時なんです。歴史のターニングポイントでどのような行動を取るかという番組でした。

中野 たとえば関ヶ原の合戦で、秀忠軍を待つか、水攻めをするか、野戦をかけるかという選択を出演者に迫るんです。今は二択ですが、以前は三択で。

高田 僕は家で寝っころがって見ていたんですが、なんと六回連続で中野さんと答えが同じだった。これは三の六乗分の一だから、七二九分の一の確率です。計算合ってるかな。

中野 たぶん合ってます。

高田 そんな確率で同じことを考えている人がいることに驚きました。それで『七夕の雨闇』という面倒くさい本を出した時に、本の帯の推薦文をお願いしたんです。歴史好きは間違いないし、それならミステリーも好きだろうと。

中野 自称ミステリー好きという程度ですから、あまり突っ込まないでいただきたいのですが、何といっても高田さんは、私の憧れのメフィスト賞受賞作家なんですね。そんな方からの依頼ですから、小躍りしてお引き受けしました。

高田 その後、書評も書いていただいて。

中野 ペンネームも素敵ですよね。「崇」って、あまり名前に使わない字だと思いますが、崇徳天皇のイメージですか。

高田 画数を三島由紀夫に合わせたんです。三十一画。中野さんと初めてお目にかかった時も、お互い三島ファンだという話をしましたね。僕なんか、爪切りも関の孫六ですよ。三島が割腹したときの刀と同じ。これがよく切れるんだ。

「ひらめき」の三条件

中野 高田さんは凄いスピードで本を出しておられますが、そこに常に通底するテーマは「まつろわぬ民」ですね。歴史の「正史」でないところを見つめて、それをミステリーに仕立てて面白く読ませてしまう。あのような歴史の秘密を、どうやって次々に思いつくのでしょう。

高田 本当にひらめきというか、神様が教えてくれるんですね。及ばずながら一所懸命に考えていると、神様が「何も知らないでかわいそうな奴だ」と憐れんでくれるんでしょう。デビュー作の『QED百人一首の呪』は、車を運転していて赤信号の時にひらめいたし、二作目の六歌仙の話は、夢の中で思いついたことをそのまま書いてしまった。

中野 人工知能のアルファ碁がトップ棋士を負かしたというのが話題になりました。ただ、これは厖大なデータベースの中からこの一手を選んでいるので、データが蓄積されないと勝てないというのが、人工知能の研究者のコンセンサスだと思います。厖大なデータベース、あるいは力ずくの計算で、ひらめきに至るのか至らないのか――。これはまだ議論のあるところで、ひらめきが人間にとって最後の砦なのではないかと言われています。

高田 僕は何も考えずに取材旅行に行って、神社・温泉・地酒という三条件をクリアすると、ひらめくことが多いですね。

中野 ラマヌジャンという天才数学者がいましたが、この人はやはり女神さまが数式を教えてくれたそうです。数式がひらめいた後で、一所懸命、証明しようと苦労する。その繰り返しだったとか。

高田 ひらめきは〇・五秒くらいで来るわけで、それがどうしてそうなるのか考えて、半年かかったりします。しかも、そのひらめきが正しいかどうか、その時点では分からないんですね。没になったのも、いくつかありますから。それは世に出ないから、百発百中に見えるだけで。

中野 今回の『鬼門の将軍』(新潮社二月刊)のテーマは平将門ですが、今までの解釈を覆すこのアイデアはどこから来たのでしょうか。

高田 それが全然わからない。でも、ひらめきやすい場所というのが古来あるらしくて、鞍上(あんじょう)、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)が三大ひらめきやすい場所。今ならお風呂とかね。

中野 デフォルト・ネットワークですね。パソコンでいうとスリープ状態。脳は、ぼうっとしている時や休んでいる時も、六〇パーセントくらいは活動しています。脳が集中して活動している時は、当面の作業以外に注意が向かないのですが、デフォルト・ネットワークの時は注意が散漫なので、かえって発想同士が結びついたり、新しい発想が生まれやすい。それが、鞍上や枕上なんです。ラマヌジャンが女神の姿をとって現れたと語るのも、このことなのでしょう。

高田 だからお酒とかもいいんだな。

中野 ほろ酔いくらいならいいかもしれないですね。

歴史に現れたサイコパス

中野 高田さんがひらめいた後の証明作業として、必ず「まつろわぬ民」が虐げられた歴史が現れますが、何か使命感のようなものがあるのでしょうか。

高田 使命感というより、DNAじゃないでしょうか。平安時代だと五百万人くらいの日本人がいて、その内、貴族は数十人。それ以外の人が四百九十九万九千九百人余りですから、それがまあ僕の祖先でしょう。そこから繋がってきていると考えてしまいます。

中野 高田さんがしばしば「鬼」と形容する人々のことですね。

高田 いわゆるスサノオ系ですね。もともと僕はそちらの系列じゃないかと思っています。

中野 私は歴史や考古学のプロフェッショナルではありませんが、虐げられたとみなされる縄文人の系列、スサノオ系とおっしゃった側と、彼らが敗れた大和王家の歴史を考える時、どうしてもサイコパシーの性質が高い人に思いをいたしてしまいます。サイコパスは一般的には百人に一人、企業のCEOや権力に近い人だと二十五人に一人いると考えられます。五人に一人という説もあります。平安期の王朝にも、そういうサイコパスがたくさんいたでしょうし、神話の記述にも多く現れているのではないでしょうか。

高田 日本書紀や古事記に登場する人たちの中には、非常に卑怯なやり方で勝ったり、相手を殺したりしながら、それを記述として残して自慢している人がたくさんいるんですね。代表的なのがヤマトタケル。完全なだまし討ちですから。

中野 女装で油断させて斬りかかるとか。

高田 自分の兄を素手で殺したような大男が女装して誰も分からないのかという突っ込みもありますが、それよりも、どうしてそういう記述を残して平気なのか。中野さんの『サイコパス』を読ませてもらったら、そういう人たちは全然卑怯だと思っていないと分かりました。

中野 自分の行動が卑怯か卑怯でないか、普通の人にはそれを判断する部分が備わっているのですが、サイコパスはその部分の活動が非常に低いんですね。良心に基づいた行いよりも、合理的に振舞うことを優先します。権力者の場合、合理的な振舞いというのは、敵を速やかに殺害して自分の権力を打ち立てることですから、卑怯な手を使っても、勝てば官軍ということになります。

高田 そういう人たちが、ずっと生き残ってきたわけですね。頼朝と義経とか。

中野 あの家族の場合はサイコパス同士の争いで、義経が負けてしまったということでしょう。

高田 中野さんの本に、サイコパスはサイコパスが好きとありました。確かに義経はずっと頼朝だけが好きだったという感じがあります。

中野 サイコパスの唯一の悩みは、彼らには良心の存在がないので、自分は世の中から外れているという内観を持ちやすいことです。普通の人が当然のように持っている正義感や共感性が自分にはないので、それによって疎外感を味わっているわけですね。だから、自分と同じようなタイプの人がいると、非常に好意を持ちやすい。義経も、自分と同じような性格を持ち、しかも権力に近い成功者である兄を、最高のロールモデルと認識したのでしょう。自分もああなりたい、ああならなければならないと思ったはずです。

心やさしい「鬼」たち

高田 戦国時代には、サイコパスが多かったのでしょうか。

中野 サイコパスが活躍しやすい社会だったのでしょう。一般的に日本はサイコパスの割合が低い国だと分かっているのですが、それは長期的に安定した政権が続く時代が多かったためと見られています。というのは、サイコパスは反社会的人格障害のひとつなので、体制を覆す可能性があるわけです。そういう人を意図的に排除する仕組みを政権側が作ってきたと考えると、このサイコパスの少なさに説明がつくのです。

高田 将門はサイコパスではないんですよね。『将門記』を読んでも、あれは朝廷側から将門をわるく書こうとしているんだけど、悪人として書ききれていない。やっぱり、いい人なんです。

中野 自然に人望を集めてしまって、大勢力になったという感じですね。

高田 はっきりは書かなかったんですが、将門は裏切りで殺されたはずなんです。確実に俵藤太、つまり藤原秀郷が裏切って殺しています。「鬼」といわれる人たちの方が実は非常に心やさしく、たいてい裏切られて殺されているんですね。酒呑童子を平気でだまし討ちにした源頼光も、サイコパスなんじゃないかな。

中野 ゲーム理論で、しっぺ返し戦略というのがあります。相手が裏切ってきたらこちらも裏切る、相手が頭を下げてきたらこちらもそれを許すという戦略で、最強の戦略と言われているんですが、これはあくまでもプレーヤーが二人の場合なんですね。プレーヤーが多になった場合は、裏切り戦略が有効だと知られています。つまり、長期的な人間関係が続く場では上品な戦略が有効だけれども、戦国時代のように短期的な人間関係しかない場では、裏切り戦略が生き延びるのに有効だということです。

高田 有名な話ですが、酒呑童子が頼光に殺された時に、鬼に横道(おうどう)なきものを――つまり鬼は嘘をつかないと言って殺された。結局、そういう人たちが滅ぼされていったのでしょう。

人は呪いで死ぬか

中野 『鬼門の将軍』には、藁人形の話が出てきましたね。

高田 あれは非常に単純な話で、誰かが自分を呪っているという意識を植えつけさせるわけです。だから、藁人形を打つところは誰にも見られてはならないと言われているけど、見られていないと意味がない。

中野 呪いによって死ぬというのはオカルトのようだけれども、論文も出ていたりします。呪っただけでは死なないのですが、自分が呪われていると知った時に死が訪れる。誰かが自分に悪意を持っているということが知られた時に死ぬ。社会性によって殺されるわけです。

高田 言霊の場合は、言葉によってそれが実現する。

中野 自己成就予言ですね。言葉によるラベリング効果の一つですが、自分がそうならなければならない未来を決めてしまったために、そこに自分の行動を無意識に合わせていく。それで予言が本当に叶ってしまうわけですね。

高田 僕の小説の場合は、八割は本当のことを書いて、残りの二割で好き勝手を書いています。

中野 結構、本当の割合が多いですね。

高田 新興宗教の勧誘とかもそうじゃないですか。大方は正しいことを言ってるんですよ。お父さんお母さんを大切にとか、他人を愛しましょうとか。その技術を使っているだけです。

中野 高田さんもサイコパスかも。

高田 それはないでしょう。僕は八五パーセントくらい本当のことを書いてます。

中野 増えてる(笑)。

於・ジュンク堂書店池袋本店

 (たかだ・たかふみ 作家)
 (なかの・のぶこ 脳科学者)

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