書評
2017年6月号掲載
『みみずくは黄昏に飛びたつ』刊行記念特集
みみずくが飛びたつまで
対象書籍名:『みみずくは黄昏に飛びたつ』
対象著者:川上未映子/村上春樹
対象書籍ISBN:978-4-10-100175-3
総計十一時間にわたって、村上春樹さんに徹底的にインタビューした『みみずくは黄昏に飛びたつ』。誰もが知りたかったことがぎっしり詰まった本書で、とりわけ話題を呼んでいるのがインタビュアー川上未映子さんの「質問力」の凄さです。膨大な村上作品を深いところまで丹念に読み込み、さまざまな角度から質問のボールを投げ入れ、納得できない答えには何度も問いを重ね、創作のメカニズムに肉薄していきます。川上さんはいかにして村上さんの言葉をここまで引き出せるようになったのでしょうか。
二〇一六年十一月初旬、はじめて川上さんにお目にかかり、インタビューを依頼。「作家どうしで一、二時間ほど対談してください」といった類いの話ではない大仕事なので、引き受けていただけるか心配でしたが、「村上さんを丸裸にするぐらいの意気込みで取り組みます」と、ご快諾いただきました。突然の、それもかなり無茶ぶりの依頼に平然と応えて下さった川上さんですが、その裏には大変な苦労があったはずです。ただでさえ多忙な方で、しかもこの時点では、村上春樹の新作小説が刊行されることすら世間には公表されていないので、関係者はおろか家族にすら秘密裡に準備をしなければならなかったのですから。そんな状況の中で川上さんから届くのは、一九八五年の「波」の記事や、全作品集の「付録」、さらには文芸評論家による未刊行の論評はどこにあるのか、といった入手しづらい資料のリクエスト。さらには、お正月の帰省時にスーツケースで運ぶので、という理由で新潮文庫の村上作品をまとめて注文されたときには、ただならぬ覚悟を感じました。
年が明けて二〇一七年一月十一日。新潮社クラブでの一回目の収録。一年半前に一度インタビューしているとはいえ、川上さんは少し緊張ぎみ。村上さんもどことなく硬さがほぐれない様子で、雑談もそこそこにスタート。川上さんは大学ノートにびっしり書き込んだ質問項目を手に、まずは『騎士団長殺し』のタイトルの決め方など、ごく一般的な質問から始めましたが、ほどなく急旋回して、「悪について」という深遠なテーマに話題を掘り下げていきます。ところが村上さんの反応がどうにも薄い。そういう観念的な話はあまり興味がないといわんばかりです。並のインタビュアーならば頭が真っ白になるところですが、川上さんは準備してきた質問項目の山をバッサリ捨て去り、話の流れに応じて問いを挟む方向にとっさに舵を切ります。それが結果的に功を奏し、コンパスのない航海のように話題があちこちに向かっているにもかかわらず、総体的には村上春樹がよくわかるという、本書の独特の魅力になっています。
二回目は一月二十五日。事前に川上さんから連絡があって、最も訊いてみたい「女性の性的な役割」についての質問の切り出し方を相談。まずは、『騎士団長殺し』の秋川まりえが胸のサイズをやたらに気にすることから話をつなげていく作戦となりました。当日は快晴、朝十時のアトリエはしんと冷え込んでいて、冬の陽光が射し込む窓辺に寄り添っての収録となりましたが、暖炉のある食卓でイタリア料理の昼食をとる頃には張り詰めた雰囲気も和んできていて、「今が時だ」とばかりに胸の話を切り出します。傍で見ているだけでも、心臓の鼓動が伝わってきそうな緊張の時間でしたが、世界中の読者が「よくぞ訊いてくれた」と拍手喝采したくなるような鋭い質問をしてくださいました。また村上さんもそれに大変誠実にお答えになっています。
最後の三回目は二月二日、村上さんのご自宅に伺って、レコード棚に囲まれた書斎でのインタビュー。数枚のレコードを聴いたあと、リラックスした気分で開始。執筆過程のメモや、書き進められないときの対処法など、作家としての日常の話から、やがて村上さんの死生観、ご自身の名声をどうお感じになっているのかといったパーソナルな質問へ。川上さんも慣れてきたのか、ときおり「俺もこんな世界的な作家になったわー」みたいな実感は?とか、自作を読み返して「やっぱり俺うまいわ、やばいわ」とか感じません?など、随所に関西弁を交えながらツッコミを入れる余裕も出てきます。ごく短い期間に、ここまで心理的距離を縮める話術もお見事ですが、そのノリを受け入れる村上さんにもおそらく、川上さんの村上作品への深いリスペクトに対する返礼の思いがあったのではないでしょうか。
相手の懐に入るためには、より深く相手を知ろうと努力すること。まさにお手本のようなインタビューを濃密に体感した、激動の五ヶ月でした。
(新潮社出版部 編集担当M)