書評

2017年6月号掲載

信長に翻弄された男たちのドラマ

――天野純希『信長嫌い』

細谷正充

対象書籍名:『信長嫌い』
対象著者:天野純希
対象書籍ISBN:978-4-10-120332-4

 天野純希は、これほどまでの短篇の名手であったか。本書『信長嫌い』を眼前にして、嬉しい驚きに包まれている。デビュー作『桃山ビート・トライブ』以来、長篇を刊行してきた作者だが、今年の二月、初の短篇集『燕雀の夢』を上梓。有名な戦国武将の父親を主人公に、戦乱の世の修羅道と、父から子へと受け継がれる夢を、見事に活写してのけた。もともと小説の巧みな作家ではあったが、これほど切れ味のよい短篇を書けたのかと、ビックリ仰天してしまったのである。そして半年も経たぬうちに、第二短篇集となる本書が登場。『燕雀の夢』に勝るとも劣らない内容で、短篇の力も並々ならぬものがあることを、あらためて証明したのだ。
 本書には、織田信長に人生を翻弄された実在人物を主人公にした、七篇が収録されている。冒頭の「義元の呪縛」は、今川義元が桶狭間の戦いで信長に討ちとられるまでの経緯と心情が綴られる。父のように思っていた軍師の太原(たいげん)雪斎に導かれ、海道一の弓取りとなった義元。雪斎の死後も、彼の幻影に突き動かされるように、京の都を目指す。そこに立ちふさがる尾張の信長は、雪斎の教えを受けたがごとき才知の持ち主であった。その事実により、信長への妬心を抱く義元。桶狭間におびき寄せ、信長を始末しようとするのだが......。
 桶狭間の戦いを演出しようとしたのが義元だったなど、新解釈を投入しながら、作者は主人公の心底に迫っていく。雪斎に呪縛された義元の人生は哀れであり、その桎梏(しっこく)から解放されたラストは悲劇にもかかわらず、温かなものが感じられる。信長が飛躍するための踏み台となった男の肖像を、作者は鮮やかに表現してのけたのだ。
 以下、朝倉家家臣の真柄十郎左衛門直隆、南近江の戦国大名・六角承禎、足利十三代将軍義輝を弑した三好左京大夫義継、織田家宿老・佐久間信盛の嫡男の信栄(のぶひで)といった、戦国武将の曲折に満ちた人生が、信長の軌跡と絡めて描かれている。どの話も、すこぶる面白い。
 そして第六話「丹波の悔恨」で、ついに信長は本能寺の変を迎えることになる。ただ、信長の最期に立ち会うことになる人物が、すこぶるユニークだ。なんと伊賀忍者の百地丹波なのである。
 百地丹波は実在人物であるが、よく実像が分かっていない。そこを利用して作者は、自由奔放なストーリーを創り上げた。伊賀攻めにより故郷を蹂躙され、仲間たちを殺された丹波。老骨に鞭打って信長を暗殺しようとするが失敗する。それでも彼は、無理だという老妻を振り切り、若輩者の文吾と組んで、さらに信長を狙うのであった。
 他の作品の主人公が武将であるのに対して、本作は忍者になっている。いうまでもなく、意図的なものだ。ならば、信長が死ぬ重要な話で、わざわざ忍者を主役に据えた理由は何か。ここであらためて、一話から五話までを振り返ってみたい。信長によって、人生を翻弄された武将たちは、非業の死を迎えたり、意に満たぬ日々を過ごしたりする。しかし、そんな彼らによって、さらに人生を翻弄された、名もなき人々がいたはずだ。
 ああこれは、ブラジルで一匹の蝶が羽ばたいたことが、巡り巡って、テキサスに竜巻を起こすという、バタフライ効果ではないか。信長の動きの影響は、武将のみならず、庶民にまで及ぶ。そうした時代の構図の象徴として、作者は忍者の丹波を選び、燃え盛る本能寺で信長と対峙させたのではなかろうか。個々の物語は当然として、こうした作品の配置の妙を堪能するのも、優れた短篇集の楽しみなのである。
 しかも本書は、これで終わらない。信長の死後を舞台にした「秀信の憧憬」を、ラストに置いたのだ。主人公は、信長の孫の秀信。太閤秀吉が死に、関ヶ原の戦いへと向かう時代の中で、祖父の大きさを実感した彼は、その憧憬の果てに滅びの道を歩むことになる。秀信の生き方を通じて、死してなお巨大な影として人々を覆う、織田信長の存在感が示されるのだ。信長に翻弄された七人の男を照射した作者は、その照り返しによって信長の姿も描き切った。手放しで称揚したい、素晴らしい短篇集である。

 (ほそや・まさみつ 文芸評論家)

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