インタビュー
2017年6月号掲載
新潮選書フェア新刊 著者インタビュー
映画に“動態保存”された日本
『「男はつらいよ」を旅する』
対象書籍名:『「男はつらいよ」を旅する』
対象著者:川本三郎
対象書籍ISBN:978-4-10-603808-2
――『成瀬巳喜男 映画の面影』(二〇一四年刊)に続く新潮選書のテーマに選ばれたのは「男はつらいよ」です。川本さんが成瀬を発見したのはバブル期だったと前著にありましたが、こちらは......。
一九六九年の第一作から熱心に見てきました。大学を卒業して朝日新聞社へ入った年です。当時、邦画は東映やくざ映画全盛で、洋画はゴダール、トリュフォーの時代ですよ。松竹で言えば、山田洋次ではなくて、もう退社していたけれど大島渚、篠田正浩、吉田喜重の時代。だから「男はつらいよ」が好きだなんてなかなか言えませんでした。バカにされる(笑)。ちなみに言うと、私は健さんは好きだけど鶴田浩二が苦手で、名作とされる「総長賭博」も好きではありません。組織暴力も嫌いだし、親分が殺されて子分が泣くなんて場面も大嫌いなんです。一方で市川雷蔵や中村錦之助の股旅ものは好んで見ていました。どうも単独者、それも放浪者に惹かれるんですね。
――「男はつらいよ」はそもそも、やくざ映画のパロディという面がありますね。
ええ、寅さん(渥美清)という〈渡世人〉は、深刻きわまりないやくざ映画の登場人物のパロディ的な存在です。「男はつらいよ」が見る前の予想以上に感動的だったのは、そんな喜劇的側面だけではなく、ダメな者に対する共感があったからです。第一作で、帝釈天の御前様(笠智衆)のお嬢さん(光本幸子)にフラれた寅さんが上野駅の地下にある安食堂でラーメンをすすりながら盛大に涙を流しますよね。ラーメンと涙がまじり合うような盛大な泣きっぷり。健さんも三船敏郎も映画の中で泣いていますが、それはいわゆる男泣きで、渥美清のようにみじめな泣き方はしなかった。誰もが高倉健になれるわけではない、という人生の真実があの姿(笑)。私も多くの人と同様に健さんにはなれなかった一人として、寅さんに共感したんです。
――これは秘話ですが、川本さんはご自身の結婚式で「男はつらいよ」の主題歌を歌ったという(笑)。
さすがに歌ってはいません、歌詞(星野哲郎作)を暗誦しただけ(笑)。七二年一月に私はある公安事件の取材でミスを犯して逮捕され、会社を辞めざるを得なくなりました。翌年結婚したのですが、結婚式で「ドブに落ちても根のある奴はいつかは蓮(はちす)の花と咲く」と(笑)。
――で、参列者の方々が泣いたり......。
みんな、キョトンとしていました(笑)。妻も結局、「男はつらいよ」は見たことないままだったんじゃないかなあ。私はその後もシリーズをずっと見てきましたが、途中から――それこそバブル期の前あたりから、「男はつらいよ」の世界がノスタルジーになっていくんです。最後の蒸気機関車が走ったのは一九七五年ですが、そのSLにせよ、今はなくなった小さな駅にせよ、もはや見る影もない木賃宿や駅前食堂にせよ、ちゃんと映画の中に残っている。これは山田洋次監督がどこかで、「こういう消えゆく日本の風景を、フィルムに"動態保存"しなくては」と気づいたんだと思うんですよ。
――そう言えば集団就職で上京する少年少女が写っている回がありましたね。
第七作の「奮闘篇」(71年)ですね。ドキュメンタリー・タッチなんだけど、実際は現地の子どもたちに演技させたのだそうです。あれは新潟の只見線越後広瀬駅でのロケ。今回、『「男はつらいよ」を旅する』という書名通り、寅さんの足跡を全作品、つまり北海道から沖縄まで(寅さんが行かなかったのは富山県と高知県だけ)辿って歩いたわけですが、実に取材がしやすい旅でした。越後広瀬でもどこでも、住民の方は撮影に来た監督や渥美さんたちをよく覚えていて、すぐ笑顔になって親身に答えてくれるんです。最終作の舞台である加計呂麻島には、シネマスコープの画面のような大きな碑が町の人たちの手によって建てられていました。寅さんがどれだけ愛されているか、つくづく感じましたねえ。むろん寅さん個人の魅力もありますが、種田山頭火や尾崎放哉といった放浪者はみんな好かれるでしょう? 末は野垂れ死にするに決まっているから、自分で放浪する勇気はないけれども、ああいう人物に対する憧れが日本人にはあるんですよ。
――今回、本書のために、改めて日本全国を旅して新しく気づいたところはありましたか。
以前行った時にはあった店がなくなっていたり、鉄道もたくさん廃線や廃駅になったりしています。でも同時に、地方の豊かさも感じたんです。フローではなく、ストックの厚みですね。その土地できちんと幸せに生きている人々がいるのだから、あまり地方の衰退とか限界集落とか強調しすぎるのもどうかと思いました。むろん人口はもう増えないのだから、コンパクトな共同体をいかに作るかを考えていくべきなんでしょうね。
――さて、「男はつらいよ」を見ていない人に、まずどの作品から薦めますか?
役者のアンサンブルで言えば、おいちゃん役を森川信がやっていた第八作まではどれを見ても満足できます。ヒロインで言えば、好みになるけど十朱幸代(第十四作「寅次郎子守唄」74年)、藤村志保(第二十作「寅次郎頑張れ!」77年)、音無美紀子(第二十八作「寅次郎紙風船」81年)などが良くて、そうだ、太地喜和子(第十七作「寅次郎夕焼け小焼け」76年)のも中期の傑作ですね。だけど、「偉大なるマンネリ」のシリーズについて、たまたま見た一作を面白い、詰まらないと言っても仕方がないんです。結局、全作品を繰り返し見ることに尽きるんですよ。
(かわもと・さぶろう 評論家)