対談・鼎談
2017年7月号掲載
万城目学『パーマネント神喜劇』刊行記念対談
消えゆくものから生まれた物語
万城目学 × 京極夏彦
道の先を行く人が放った鮮烈な言葉が、新作を生んだ!?
異なるアプローチでこの世ならざるものを書き続けて来た作家同士の初顔合わせ。
対象書籍名:『パーマネント神喜劇』
対象著者:万城目学
対象書籍ISBN:978-4-10-120662-2
万城目 僕は大学生の時に『姑獲鳥の夏』を友人から、「めっちゃ面白いから、とにかく読め」と言われて、読みました。まさかこんな形でお会いできる日が来るとは思いませんでした。
京極 いや、僕も万城目さんの作品はエッセイ以外は恐らく全部読んでますからね、今日は一読者として緊張しています。
万城目 なんと......。ありがとうございます! 大学の時に読んで、とにかく分厚さに驚いたんですけれども、人間がこんなことを、こんな分厚いボリュームを使って論理的に物を考えられるのかと圧倒されました。
京極 下手だから長くなるんですよ。でも、万城目さんみたいな書き方は僕にはできないだろうから、ちょっと憧れますけどね。
万城目 え、どのあたりがですか?
京極 たとえば、僕は「お化けの人」と思われてるわけです。現在、この版元で書かせてもらっている作品(週刊新潮連載「ヒトごろし」)なんて、まるでお化け関係ないんですが、それでもお化けが出てるみたいな印象で受け取られてます。でも、僕の小説にそもそもお化けは出て来ませんからね。お化けのことは書いてあるけど、作中にお化けはほぼ出て来ないんです。それなのに「おまえは化けもの係だろう」ぐらいの勢いで。そういうイメージがついているんですね。
万城目 そうですか(笑)。
京極 僕の名刺の肩書きには「お化け担当」と書いてあるらしい。万城目さんにはそんなイメージはないですね。でも『鴨川ホルモー』には、人間じゃないものが当たり前のように登場してますよね。
万城目 出て来ますね。
京極 すごいと思う。僕のやり方だとあんな自然に出せないんですよ。
万城目 そう......ですか?
京極 そのへんのことをお伺いしたかったんですが、『鴨川ホルモー』にしても、『鹿男あをによし』にしてもそうなんだけど、万城目さんは別に、人間じゃないものを書きたいわけではないでしょう?
万城目 本当は出したくないんです。
京極 やっぱりそうですよね。
万城目 入れずに同じ話を作れたらいいんだけど、その能力がないと自分では思うんです。入れた方がスムーズに面白い展開に持って行けるので、また今回も出してしまったみたいな......。
京極 万城目作品は人知を超えたものを道具にしているだけだと思ってました。お化けはガジェットというか、一つの装置として作中で機能しているんですよね。それも、ストーリー展開上で必要だ、というような単純なものではなくて、それがあることによって生じるフェイズのズレのようなものが、見えにくいものを浮き彫りにしちゃうというか。だって『鴨川ホルモー』を普通の大学サークル小説として書いたら、逆に恋愛小説にはならないでしょう。
万城目 そうですね。
京極 それ、お化けの正しい使い方なんですよ。妖怪というのは何かを表したものなんだから、フィクションに起用するならそれによって何か別のものを表すべきだと思う。妖怪自体を表してしまったら、もうそれは妖怪キャラが出て来るだけの小説でしかなくて、その場合多くは妖怪である必要のないキャラ小説になっちゃう。僕はお化けを出さずに、お化けの周辺を描くことで妖怪を表そうとしてるんですね。万城目さんはお化けを出すことによってお化けじゃないものの説明をしているのじゃないかしら。
万城目 確かにそうかもしれないです。
京極 だからスタイルとして万城目さんと僕は裏返しみたいな感じになっている。そこが、すごく面白く感じる。
万城目 僕はお化け的なものを書くことに関して、意識の中であまり境界線がないんだと思います。ただ、お化けが見える環境や能力を得て、登場人物が喜ぶような展開にはしないことにしています。多分そうすると読者はみんな白けちゃうだろうから。
京極 そんなもの見えても、普通嬉しくないですからね。
万城目 そうなんですよ。だから、そういう存在のはた迷惑さを物語の中でずっと維持する感じにしようかなと。
京極 大体お化けなんていないですからね。いないんだけど、いることにしておくというお約束なんですね。そのお約束によって何かを表現する、共有する、生きやすくするという文化的装置でしかない。万城目さんはそれをそのまま作品に応用しているわけだから、極めてリアルな小説だと僕は思いますけどね。
妖怪の消滅
万城目 新刊を書くことになったきっかけをちょっと聞いていただけますか。かなりむかし、二〇〇〇年の頃だったかと思うのですが、京極さんが「ニュースステーション」に出ていらっしゃいまして。しかも、ワンコーナーではなく、ずっとキャスターの隣に座っているという。
京極 そういえば一回だけ出ましたね。ニュース番組って、当たり前だけど、どんな事件が起きるかは事前に分からないから、いくら前もって打合せしてもですね、結局その日起きた事件に対してコメントをするしかないという、厄介な話で。
万城目 あの日は何か事件があったんでしたっけ?
京極 特に起きなかったと思いますね。確か、映画の「長崎ぶらぶら節」ロケ地から生中継が入ったんです。「主演の吉永小百合さんに何かお話しありますか」と聞かれて、「別に」って、どこかの女優さんみたいなことを言いました(笑)。
万城目 解説の方が『嗤う伊右衛門』を読んだら夢中になって電車を乗り過ごしたという話をしたのですが、京極さんは表情をぴくりとも動かさずに「ああ、そうですか」って。
京極 実に僕らしいですが、「長崎ぶらぶら節」のことしか覚えてないですね。
万城目 僕はその時に、ああ、これが京極さんなんだと思いながら観ていました。その後、長野県のダムのニュースが流れて、キャスターの方が「どう思われますか」と質問したら、「ダムができると妖怪が死ぬ」とお答えになったんですよね。
京極 そんなこと言ってましたか?
万城目 続けて、「ダムができたら、そこにある村が沈んで、住んでいた人が散らばってしまう。そうすると、みんなの記憶や歴史が消えるから、そこにいた妖怪もいなくなるんです」って仰ったんですよ。
京極 それは全く覚えていないけど、確かにそういうようなことを僕はよく言いますね。
万城目 衝撃を受けました。今だったら民俗学的アプローチとして珍しくない見方かもしれませんが、僕は当時そんなことを思ったこともありませんでしたから。「人がいなくなると妖怪が消える」というのを、それから十七年ずっと覚えていました。今回の『パーマネント神喜劇』の底流にはあの時の京極さんの発言があるんです。作中でも神様に「人々がいるから神がいる」と繰り返し言わせていたり。
京極 いや、それはびっくりです。何でも言ってみるもんですね。それにしてもあの神様はいいですね。
万城目 ありがとうございます。
京極 僕の小説の中で唯一お化けが出て来る『豆腐小僧双六道中』というシリーズがあるんですが、出て来るといっても擬人化した概念という扱いなので、存在はしないんです。連中は概念なので、忘れられると消滅してしまう。記録と記憶が拠りどころですね。たとえ記録がなくても、人間が覚えている限りは出て来られるんです。たしかに神様も同じですね。万城目さんの新作は、神様ライフが今風になっているところが良かったですね。
万城目 神様とはいえ、今を生きてるんだから、だんだんそうなるかなと思いまして。
京極 縁結びの神様がどこか格好悪いのも好きですね。
万城目 派手な服を着ていて、みんながそれはどうなのって思うけど、本人は俺はイケてると思ってるんですよね。
京極 大事なことだから二度言う、すると言霊が発動するとか、細かい設定も面白かったです。最後はどうまとめるのかなと思いましたけど。
万城目 ずっと担当の方に言ってたんです。「アルマゲドン」みたいにしたいって。
京極 「アルマゲドン」?
万城目 あの作品のブルース・ウィリスみたいに、おっさんが最後頑張って、エアロスミスがかかるイメージですね。ただ小説では、すごく頑張るんだけども、実は――というラストにしたいと話してました。
京極 ははは、それで神様もちょっとその気になったのね。一時だけど。「おっ、こいつ頑張るじゃん」と思いましたよ。そういう怒濤展開を経て、サインで終わるという。
万城目 そうなんですよ。
京極 それだけキャラ立ちしてるのに、神キャラ小説じゃなくて、ちゃんと人間のほうが本筋ではある。神様小説としては破格に面白かったです。
万城目 感激です。
京極 もうちょっと続いて欲しいような気もしましたけどね。万城目さんの小説はいい意味での酩酊感がありますからね。
万城目 もっと読んでもいいという感じですか?
京極 腹八分目で終わるところがいいのかもしれないけれど。終わらんでもいいよという感じ。でも終わっちゃうんですよ。だから続編という手もありますね。まあ作者が書きたくないというなら無理でしょうけど、その気になった時にはお願いします。『ホルモー六景』みたいな形でもいいですね。
ジャンルを超えて
京極 今回の新作も含め、万城目さんの作品は世の中ではファンタジーに分類されがちですよね。
万城目 そうですね。
京極 僕は全然ファンタジーだと思わないんですけどね。ご自分でどう考えられているのかは分からないんですが。
万城目 僕、ファンタジーとあまり言われたくないんですけれども。
京極 やっぱりそうですか。
万城目 そういうつもりじゃないんだけど、でも実際現実にいないものが出て来るのは間違いないから、まあ反論はしづらいんですが。
京極 でも、現実にいないものが出て来ればファンタジーという定義はちょっといただけないですよね。万城目さんの小説はファンタジーの作り方ではないと思うけどなあ。何をもってファンタジーとしているのか、僕にはちょっと分からない。万城目さんの小説って、地に足がついた設定から外れないですよね。
万城目 そうですね。あくまでも日常に何かが入り込んで来る感じですね。
京極 物理法則が変わるわけでもないし。社会は社会として厳然としてちゃんとあるし。現実に何か紛れ込んで来るわけだけれども、紛れ込んで来たもの自体に意味はなくて、紛れ込んだことによって起きる変化こそが多分肝ですよね。だから、一般小説だと僕は思うけども。
万城目 あまり境界がないんです。こればかりはそうなってしまうから仕方がない。
京極 小説って複層的な構造を持っているものだから、決して単層で理解できるものではないですね。万城目さんの小説は特に、ファンタジーとかSFとか、そういうお膳立てだけ強調されて紹介されるとちょっと違うんじゃないかと感じる。「もっと自由に読もうよ」と思うし、「僕は自由に読んだし」と言いたくなってしまう。ジャンルに囚われず自由に読んだ方が断然面白い。二読三読しても全然違う味になります。そんな読み方が出来る作品というのは、そう多くはありません。
枚数の計算が合わない!?
万城目 京極さんは小説を書く時、最後まで決めて書かれていますか?
京極 きっちり決めます。枠があって、着地がずれるということはまずないですね。ただ、スケール感を間違って長くなっちゃうんですよ。
万城目 僕も最初に設定したところから逆算して物語を動かしていくんですが、常に枚数を見誤っています。これ位の枚数で書けると思っていざ書いたものが、大体倍になっちゃう。
京極 僕も同じですね。倍はないけど(笑)。ただ、万城目さんの小説をうらやましく思うのは、書き放題"感"が内包されているところですね。この設定でこれって幾らでも書けるじゃんという、つまりいつまでも読めるじゃんというわくわく感があるわけ。もちろん、最後はきちんと回収されちゃうんだけれど、期待はしちゃうんですね。ああ帰ってきちゃったと、少し残念になります。
万城目 そのラストでの回収は、最初に決めたとおりに落ち着けたいんです。
京極 『バベル九朔』なんかも、どこまで昇っても部屋が終わらない、「何回目なんだよ、ここ」みたいな無限ループ感が心地良いわけ。あの小説はあの形で完成しているんだと思いますが、読んでる途中ではもっとどこまでも行って、行き切ってくれという気持ちになりましたけどね。
万城目 途中で方向転換できないんですよ。途中までうまいこと膨らんでいると思っていても、その半年前に書き始めた時に考えた終わり方にしないといけないと思っちゃうんですよね。そういう部分は柔軟性がないですね。
京極 僕も似たような体質なんだけど、小説は何でもありなんだから、むしろ着地なんて考えなくていいんじゃないかと最近は思います。『バベル~』はただ単に設備チェックしてるシーンとか、変な店の描写とかがとても面白かったです。
万城目 実際に雑居ビルの管理人をしていた時の作業を書いたりしたので、自分としては面白さの価値が低いような気がするのですが......。
京極 どうでもいいようなことを面白く書くのが小説じゃないですか。元々面白いことは小説にしなくたって面白いんだから。そういう意味でも、すごく楽しめました。日常の変奏を繰り返してどこまでも連れてってくれそうな気持ちにさせてくれるところが魅力の一つでした。
万城目 本当に光栄です。
京極 スタイルは裏返しなのに、作り方は似ているんですね。だから、僕が力及ばずして到達できないようなところに向かっている感じがするのかもしれない。そのへんもうらやましいなと思います。
万城目 頑張ります。まさかこんな言葉をかけていただける日が来るなんて......。
京極 こういう小説があったらいいなと、僕がずっと思っていたような作品が、ここ数年ぽつぽつ出て来ているんですね。万城目さんもそうした書き手の一人です。読み手としても書き手としても期待をしています。どんどん活躍してください。
万城目 ありがとうございます。京極さんがそれまで誰も物語に組み入れようとしなかった題材を取りこみ、一気に物語の幅を広げてくださった後にデビューしたおかげで、かなりやりやすくなったと思います。僕もその京極さんが切り拓いてくれた道のはしっこを歩かせてもらっているので。
京極 万城目さんが切り拓いた道の後ろからついて来る人たちも次々にやって来ると思いますけども。
万城目 頑張ります! それで、一つお願いがありまして......。新刊のとあるシーンみたいになっちゃいますが、後でサインください(笑)。
(まきめ・まなぶ 作家) (きょうごく・なつひこ 作家)