書評
2017年7月号掲載
代わりはいない
――中村紘子『ピアニストだって冒険する』
対象書籍名:『ピアニストだって冒険する』
対象著者:中村紘子
対象書籍ISBN:978-4-10-138552-5
中村紘子さんが優れた文筆家であるというのは、誰もが知るところである。しかし、決して多作ではない。ここ十年以上、新刊は出ていないのではないだろうか。
むかし、紘子さんがおっしゃっていた。
「わたくしのなかで、いちばん才能があるのは、ピアノなの。ピアノに比べたら、書くことなんてなんでもないの」
亡くなられたとき、まっさきにその言葉を思い出した。あれは、しちめんどくさい書くなんてことよりも、ピアノを優先したいという決意表明だったのだろう。ああ、もう、中村紘子さんの文章は読めないのか......。
だから、本書を手にしたときは、ただただ嬉しかった。天に向かって叫んでいた。
「ありがとう、紘子さん! 書いていてくださったんですね!」
しかも、三百ページ。読み応えあり。普通の人々には絶対に手の届かない、超弩級のエピソードが次々と登場して、まさに「紘子ワールド」が炸裂しているのだ。
さらに、前々からぜひとも書いていただきたかった(私が読んでみたかった)、自伝的要素も色濃く入っていて、なるほど、「中村紘子」はこういう風にして「中村紘子」となっていったのかと、深く納得。敗戦直後、音楽や文化に、いや、すべてに飢えていた日本という国が、時代が、一人の少女に希望を見出し、寄ってたかって英才教育をほどこしたのだ。みんなが貧しかったに違いないのに、なんという豊かな時代だったのだろう。
もちろん、見出された少女が、それだけのものを持っていたということでもある。美貌と才能に加え、負けん気の強さ、観察眼の鋭さ、抜群の記憶力、そして文才にまで恵まれていたからこそ、私たちはその時代の豊かさを羨むことができる。
中村紘子さんの「がん」が発見されたのは、二〇一三年だという。とすると、本書の執筆は、その大半が「がん」と闘いながら進められていたはずなのだが、病気について触れられているのは、「お騒がせしました」の一項だけ。それもからりと明るく、持ち前のウィットに包まれていて、深刻な気配はみじんもない。
「この世に生を受けて七十年、病気らしい病気をしたことのなかった私だが、ついにちょっと真面目な病気にとりつかれてしまった。大腸がんである」
そんな出だしから、「真面目」ではなかった病気譚が面白おかしく語られ、「真面目」な病気が発見される道のりまでもが、スキップを踏むように軽妙に書かれているのだから、その強靭な精神力には畏れ入る。
しかし、全編を読むと、カラッとはしていても、どこかしら遺言のような感じがしないでもない。繰り返し登場する、ポーランドの誇りであるショパンとパデレフスキの話。音楽監督を務め、後進の育成に心血を注いだ「浜松国際ピアノアカデミー」の話。音楽は、文化は、国の品格をあげる力にもなりうるのにと、現在の日本のピアニストを取り巻く環境をしきりに案じている。
もう一つ、亡くなった方との思い出が多いのも、なにか予感めいたものがあったのだろうか。
だが、ただしんみりで終わらないところが中村紘子の真骨頂。「蘇州に死す」は、蘇州で亡くなられた作曲家の團伊玖磨さんと、かの地で遊んだことが綴られているが、話のついでに、「鉄板焼き」をいちども召し上がったことがないという皇太子殿下を自宅にお招きして手料理をふるまったエピソードが、サラリと出てきてしまう。
「ピアニストには代わりをたてることができる。でも、『中村紘子』には代わりがいないんですよねぇ」
「中村紘子追悼コンサート」の舞台袖で、ある音楽関係者がそんな言葉を呟いた。
本当に、中村紘子さんに代わりはいない。
最後となった著書を読み了えて、つくづく思った。思い知らされた。
(だん・ふみ 女優)