書評
2017年8月号掲載
愛される宿命
――畠中恵『とるとだす』
対象書籍名:『とるとだす』/『とるとだす 限定版』
対象著者:畠中恵
対象書籍ISBN:978-4-10-146137-3
この物語には"温度"がある、と思った。昨年十五周年を迎えた大人気作品『しゃばけ』シリーズのことだ。一度読み始めると生まれながらにして"愛される宿命"を背負った作品なのだとわかる。それは、決して楽なことではない。まさに主人公・長崎屋の跡取り息子一太郎(若だんな)そのものだ。
時は江戸時代。一太郎は毎日贅を尽くした生活を送り、両親や二人の手代たちに大層甘やかされて育っている。この手代というのは、じつは白沢と犬神という妖力の強い妖(あやかし)だ。なんと祖母は齢三千年の大妖であり、一太郎はいわゆる妖と人間のクォーターということになる。だから、寝起きしている離れには自然と様々な妖たちが集まって来る。一太郎には道楽息子になる条件がたんと揃っているのだが、彼はべらぼうに体が弱いのだ。うっかり三途の川を渡りかねない彼を、読者はハラハラしながらも応援してしまう。だが、妖の血が流れているということもあり、一太郎はとにかく奇妙な事件に巻き込まれる。なにより愛されることに甘んじていないため、せっせと布団を抜け出しては自ら事件に関わり、並み外れたやさしさで騒動に首を突っ込んでは、妖や周りの人たちに助けられながら、鋭い推理で解決し、人の想いを労わり、妖を救い、病と戦い、一歩一歩成長していく。さらなる魅力は、世代を超えて色あせない作品だということ。ミュージカルに足を運んで下さった方の中には「お母さんの本棚に『しゃばけ』があったので読みました!」と言っていた方が少なくない。短編が多く、若い人でも読みやすいが、油断しているとふいに真理をついてくる一言が待ち受けており、一気に心を鷲掴みにされる。日本ファンタジーノベル大賞優秀賞だけではなく、錚々たる候補作をおさえて吉川英治文庫賞を受賞したことでも頷けるだろう。
そして、最新刊の『とるとだす』では、驚くことに一太郎ではなく、父親の藤兵衛が突然倒れてしまう。これまで病気ひとつしたことがない藤兵衛が倒れた理由が......これがまた何とも切ない。第一話「とるとだす」は、広徳寺に薬種屋の主人たちが集められたところから始まる。その会合の最中に、藤兵衛が倒れるのだ。続く「しんのいみ」では、一太郎は不思議な世界へと紛れ込む。さらに「ばけねこつき」では、奇妙な縁談話を持ちかけられ、一太郎の心を翻弄する。これでもかとたたみ掛けられた上、読者は「長崎屋の主が死んだ」というタイトルを目にすることとなる。長崎屋に恨みを持って死んだ"狂骨"という骸骨の亡霊のような者が現れ、次々と人を襲い......。最後の「ふろうふし」には、誰もが知っている意外な人たちが登場しているのも物語に厚みを与えている。今作は大店の若だんなとしても一段成長する展開となっており、家族の大切さをしみじみと感じさせてくれる。
今年九月に上演されるミュージカル『しゃばけ 弐』でも、家族がテーマとなった二つのストーリーを取り上げる。『ぬしさまへ』に収録されている「空のビードロ」は、一太郎の腹違いの兄・松之助が主人公。孤独で頼れる家族もなく、桶屋の奉公人として働いているが、長崎屋が原因で店を辞めることになり......。シリーズの中でも人気が高く、最後の一頁に涙を禁じ得ない。もう一作は『おまけのこ』に収録されている「畳紙(たとうがみ)」。紅白粉問屋のお雛は、漆喰の壁のように真っ白に化粧をしないと人と接することができない。そのお雛に、ひょんなことから付喪神(つくもがみ)の屏風のぞきが関わることとなるのだが......。これは現代にも通じる問題であり、思わずはっとさせられる。そして、この二作品の冒頭部分が、ミュージカルとの特製コラボブック『とるとだす 限定版』に掲載されている。他にもキャストの撮り下ろし写真や、限定版だけの特典付チケット情報など盛りだくさんの内容となっている。
最後にもうひとつ、『しゃばけ』の魅力をお伝えしたい。じつは、第一弾のミュージカルを上演する前、新潮社の担当の方々にお会いさせていただいたのだが、そのときの会議室は、なんとも安心感のある空気だった。だが、その中にも作品を守ろうとする凜とした強さを感じる。「あれ? この空気はどこかで感じたことがある......」そうだ、長崎屋に似ているのだ! 主である一太郎や藤兵衛を信頼し、支え、盛り立てている。作品の一番近くにいる人たちをも、著者・畠中恵さんは魅了しているのではないだろうかと思う。だからこそ、『しゃばけ』を取り巻く独特の"温度"がここにある。風邪を引いたときの部屋のような、あたたかくほっこりと、少し湿度の高いあの温度。本を開いた読者たちの傷をいつの間にか癒してしまうその温度で、今後もこのシリーズは続いていくのだろう。それこそが"愛される宿命"なのだ。
(かぐらざわ・ことら 脚本家)