書評
2017年8月号掲載
一人の声では語ることのできない現実
――テジュ・コール『オープン・シティ』(新潮クレスト・ブックス)
対象書籍名:『オープン・シティ』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:テジュ・コール著/小磯洋光訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590138-7
晩秋のマンハッタンを散歩する光景と、アパートから見上げていた渡り鳥が印象的に描かれ、小説は始まる。
語り手は、作者のプロフィールと重なるナイジェリア系アメリカ人。アメリカで生まれ(つまりアメリカ国籍である)、少年時代はナイジェリアで過ごし、アメリカの大学に進学して以来アメリカで暮らし、文学の勉強をしたのちメディカルスクールに入り、マンハッタン北部の病院で精神科のフェローシップ中である。母親はドイツ人。アメリカにいれば「黒人」として扱われ、ナイジェリアでは「白い」と見られる。「ブラザー」と呼びかけてきた黒人男性に挨拶をしなかったことでなじられ、暴力にも遭遇する。隣人の死にさえ気づかない大都市の片隅で、広大な空を飛んでいく鳥たちの姿に「自然界における移住」を見いだそうとしている。
病院の勤務帰り、所用の前後、彼は地下鉄に乗り、歩き、番号順に並ぶストリート、格子状の街区、公園内の蛇行した道を縦横に移動する。正確に描写される位置関係と繊細な風景は、クラシック音楽のエピソードと相まって、孤独で美しく、読み手の感覚も開かれていく。書物や美術館の絵から広がる想像は、示唆的だがどこかイメージの寄せ集めのようでもあり、世界随一の都市ニューヨークの実生活と虚構的な部分を浮かび上がらせている。
南北に細長いマンハッタンの北端から南端まで、語り手は出会う人々の話を聞き、自分を取り巻く人々の記憶に思いを馳せる。文学部時代の教授は、年老いた日系人で戦時中強制収容所に抑留されていた。病院で担当するうつ病のデラウエア族の女性は、ネイティブアメリカンが虐殺された記録を調べて論文を出版した。名前を受け継いだ母とは、父親の急死後、疎遠になっている。母と仲違いしたその母(語り手の祖母)は、ロシア占領下のベルリンで母を産んだ。生まれた地、ルーツのある国とは別の場所で暮らす人々の語る声が、響き合い、記憶と歴史が連なっていく。
生死すら知らない祖母を求めて向かったブリュッセルでは、多種多様な経緯でこの街に来た移民たちが、モロッコ人青年の店でそれぞれの国へ電話をかけている。哲学を学んだ大学での差別的な扱いに失望したモロッコ人青年は、差異が価値あるものとは認められていないと憤る。語り手は、移民たちに対する現地の人々の視線を感じ取ってしまう。
ブリュッセルは、EUの本部が置かれている街である。この小説は二〇〇六年から七年にかけてを書いているが、その後の難民問題やEUの困難を見事に映し出している。移民の語りや彼らの過去の記憶をたぐっていく書き方はゼーバルトに共通するが、強く感じるのは、この小説で描かれているのは、紛れもなく現在の、それも進行形の世界だということだ。混沌という言葉では単純すぎる、どこから見るかでまったく違って、糸口さえわからないほど絡み合った、途方に暮れるような今の在り様だ。語り手が歩くあらゆる場所に、アメリカの歴史、ナイジェリアの歴史、帝国と植民地の、またそれぞれ国の中での、支配、被支配、戦争、暴力、抑圧が、積み重なっている。
多忙な仕事や知人たちとの交流、少年時代のできごとや別れた恋人への想いといった厳しくはあるが日常的な生活の中にある、研ぎ澄まされた静謐な風景と思索を、じゅうぶんおもしろく読んでいたのだが、ときどき違和感を覚えてもいた。ダウンタウンのバーで声をかけてくる黒人男性。ブリュッセルでの見知らぬ東欧女性。語り手は覚えていないナイジェリア人同級生の姉。性的な視線、暴力の萌芽、行き違う感情。其処此処に潜んでいた亀裂が、思いも寄らぬ展開につながり、埋め合わせのできない傷があらわになる。そのとき、わたしは、自分たちがどれほど複雑に絡み合った世界(利害関係とも言えるかもしれない)を生きているか、それからは逃れられないのに、深く関わっている当事者なのに、自分にとって見たくないことを見えないことにしているか、見ないようにしているか、思わずにはいられなくなった。
(しばさき・ともか 作家)