書評
2017年8月号掲載
どんどん捕って食ってほしい
――玉置標本『捕まえて、食べる』
対象書籍名:『捕まえて、食べる』
対象著者:玉置標本
対象書籍ISBN:978-4-10-351141-0
環境が人を育てるというが、玉置さんが青少年時代に育った場所は、世の中の自然に興味を持つ人にとっては理想的だった。
でも同じような環境に育った人がすべて自分のまわりの風景が理想的、と思っていることはないだろう。十代の頃はまだしも大学生になってから下宿生活をした場所は文面からみてかなり田舎だったようだ。
より自然な世界とそういうところに生息している虫や動物に多大な興味を持っている玉置さんだったからこそ素晴らしい「青春時代」の舞台になったのだ。多くの青年が、さして意味や目的がはっきりしているわけでもないのに都会を目指すのとは逆の経験や思考を与えてくれた。
この本はそういうスタンスがはなからあきらかになっているので、同じ日本に生きていながら玉置さんの(見てきた)世界は別の自然大国ではないのかと思うほど見事にむきだしの自然がひろがっていて痛快である。
本書では著者のこれまでの人生で出会い、興味を募らせてきた一〇の生物がとりあげられている。貴重なのはそれらを「捕まえて」「料理して」「食べている」ことである。目次をパラパラやるとのっけからこういうのを捕まえて食べるなんて、日本の普通の生活の周辺にこんなにバラエティに富んだ生物がいるのか、という最初の「びっくり」をあじわわせてくれる。でも読んでいけばわかるように本当にそこらの干潟に、そこらの小川に、ちょっと電車で足をのばした山の麓に、間違いなくそういう生物がいるのである。
玉置さんとぼくは歳はずいぶん離れているが、育った場所や環境をみるとぼくのそれとよく似ている。まず東京湾の干潟のあるところでそだった。青年時代は同じ河川のそばで暮らしていた。玉置さんのほうがぼくの生きた時代よりもずっとあとのもっと都市化した環境であったにもかかわらず、ぼくは玉置さんの発見して食ってきた生物にまったく気がつかなかった。
ヒトの人生は見る目を持つ者と持たぬ者とでこんなにも違ってきてしまうのか、ということの見本みたいな「違い」をこの本を読んで感じ、自分がその青少年時代に近隣にあった黄金の風景をポカンと見過ごしてきたのを悔やむのである。
この本を読んで、ぼくがいま仲間と毎月いっている日本のあっちこっちへの釣り行脚の足元をまるでおろそかにしていたことに気がついた。自分たちの住んでいる東京の干潟にこれまでまったく目をむけていなかったのだ。そこで初夏の江戸川の河口へこの本に書いてある「アナジャコ」と「マテガイ」を取りにいった。そのとき玉置さんが獲物のいる場所の案内と、その捕獲のしかたを、親切にも我々に同行して教えてくれた。案内してもらいながら東京湾をぼくはいままで何も知らなかったな、ということに気がついた。仲間たちは見よう、見まねでいままで知らなかった生物を自分の手で捕獲して満足そうだった。
このままでいけば玉置さんに顧問になってもらってもう少しみぢかなところに生息しているご近所の生物を捕まえて、食ってしまおうか、ということになりそうである。
ただし、冒頭にあるアカエイの「ホンオフェ」とかそこらの小さな川にいたりするスッポンの生け捕りなどはぼくの仲間の誰が捕りにいくのか、誰が料理するのか、激しい譲り合い(おしつけあい)になるような気がする。
それにしてもこの本を読んでいるとファーブルとかダーウィンなども、おそらくこんなふうにして自分の身のまわりを興味深く眺め、ああした偉業をなしとげたのだろう、ということを思い浮かべるのである。
こういう視点と実行力を持った人が我々の身のまわりに現存している、ということをぼくは嬉しく思う。そうしてこの本の発刊を足場に玉置さんは季節もいろいろ替え、スタンスやスケールもじわじわひろげていってさらに沢山の「身近な」自然と生物の世界を発見し、どんどんいろんなものを食っていってほしい、と思うのである。
(しいな・まこと 作家)