書評

2017年8月号掲載

今月の新潮文庫

野球を愛する全ての人へ

――須賀しのぶ『夏の祈りは』(新潮文庫)

吉田伸子

対象書籍名:『夏の祈りは』(新潮文庫)
対象著者:須賀しのぶ
対象書籍ISBN:978-4-10-126973-3

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 勝負ごと、とりわけスポーツの世界で、敗者のほうに心を寄せるようになったのは、いつからだったのか。歓喜にうち震える勝者にではなく、がくりと肩を落とし、言葉さえ失って呆然としている敗者に、思いを巡らすようになったのは。
 そのことに思い至ったのは、ある日、夏の高校野球の試合を観ていた時だった。言わずと知れた甲子園。全国の球児たちの、夢の場所。その時、ふと思ったのだ。夢の場所に至る道には、数え切れない無数の"負け"があったのだ、と。夢の場所のマウンドの下には、敗者の汗と涙があるのだ、と。そして、そんな夢の場所でさえ、勝者と敗者ができてしまうことの厳しさに胸が詰まった。
 もちろん、プレーヤーにとっては、勝利が絶対的な価値を持つわけで、たとえ、夢の場所に立てたとしても、そこで敗退してしまっては、報われないものがあまりに大きすぎることは、察するに余りある。でも、だからこそ、プレーヤーでない私は、負けた彼らに拍手を送ろうと思った。胸を張って帰っておいで、と。君たちは、十二分に頑張ったよ。恥じなくていいんだよ、と。
 本書は、埼玉県の公立高校である北園高校の野球部を舞台にした連作小説集だ。第一話の「敗れた君に届いたもの」(昭和63年)から、最終話「悲願」(平成29年)まで、いわば、北園高校野球部クロニクルが描かれているのだが、本書の美点は、勝者のドラマではなく、勝利に至るまでのドラマが描かれていることだ。
 昭和33年、埼玉大会での準優勝がこれまでの部の最高到達点である北園高校は、野球部にとってはもちろん、野球部OBにとっても、埼玉大会優勝=甲子園出場が、文字通り「悲願」だった。その悲願達成に最も近いと目されていた世代が、昭和63年、香山始キャプテンの代だった。順調に勝ち進んで迎えた準決勝は、同じく公立校である溝口高校。誰しもが北園の勝利を疑わなかったのだが......。
 この第一話で登場したキャプテンの香山が、北園の野球部監督として再び登場する第四話「ハズレ」、第五話「悲願」まで、北園高校野球部の年代史的な流れを追いつつも、本書の真ん中にあるのは、野球というスポーツへの深い愛だ。
 悲願、悲願と口煩く言われ続け、そのことを重荷に思っていた香山が、悲願の意味を身体で実感する、その瞬間。個性の異なる二人のエースとバッテリーを組むキャッチャー大畑の苦悩と成長。男子マネージャーとはまた違う苦労を背負う女子マネと、恵まれた身体を持ちながら、プレーヤーとしての資質に悩む内野手。そして、県大会のベスト4まで勝ち抜いた三年と、その三年よりさらに可能性のある、甲子園を狙えるとされている精鋭揃いの一年に挟まれ、「ハズレ」と陰で揶揄される二年。その二年のキャプテン巽が、「ハズレ」という言葉に一番囚われていたのが自分だったと思い知る時。
 野球に魅了され、野球に打ち込む彼ら、それぞれの悩みを描きつつも、そんな彼らだからこそ、野球を通じて成長している点が、本当に素晴らしい。勝つことは目標だけども、目的ではない。第一話に込められたそのメッセージが、本書を貫いているからこそ、第四話とそれに連なる第五話で、香山が監督になって率いるチーム――「ハズレ」世代と呼ばれ、期待されていなかったチーム――が、初心にかえって、野球を楽しむことで勝利を手にしていくその様が、ことさらに熱く胸を打つ。
 香山はもちろんだが、第二話に登場する二人のエースがOBとして再登場したり、第三話で自らの資質に悩んでいた内野手が、後年トレーナーとして北園野球部にとって大事な存在になっていたり、と連作という構成を生かした展開も読ませる。野球を愛する全ての人への、熱いエールのような一冊だ。

 (よしだ・のぶこ 書評家)

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