書評・エッセイ

2017年9月号掲載

宮部みゆき『この世の春』上・下 刊行記念特集

時代小説によくぞこのテーマを

乾緑郎

作家生活三十周年を迎える今年、満を持して世に問うサイコ&ミステリー長編小説。
時代小説の世界に風穴を空けるこの作品を、作家・乾緑郎氏、評論家・千街晶之氏が読む。

対象書籍名:『この世の春』上・下
対象著者:宮部みゆき
対象書籍ISBN:978-4-10-375013-0/978-4-10-375014-7

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 物語を読み終えた今、私は田島半十郎に付き合って、潰れるまで一緒に飲みたい気分なのです。飲まねばやってられぬのです。だって多紀さんが......。
 さて、『この世の春』です。
 宮部みゆきさんのデビュー三十周年記念となるこの作品。
 皆さんは、このタイトルからどんな物語を想像するでしょうか。
 おそらくは、私と同じく、最初のうちは非常に戸惑うのではないかと思うのです。
 乱心による主君の押込(おしこめ)(強制的な隠居。平たく言えば監禁)と、それに伴う御用人頭の解任と切腹。主人公、各務(かがみ)多紀の元に、この御用人頭の嫡子である幼児を抱いた乳母が、助けを求めに来るという、非常に緊迫した場面から物語はスタートします。
 藩主であった北見重興は、藩の所有する「五香苑」という屋敷の座敷牢に入れられ、連れて来られた多紀は、元家老である石野織部から〈みたまくり〉なる魂を操る技について聞かされます。多紀は山中の岩牢に閉じ込められている、ある意外な人物と会見することになり、座敷牢からは、夜な夜な女の啜り泣く声や、いるはずのない子供の笑い声が聞こえてきて......。
 ここまで、まだほんの導入部なんですけど、すごく不穏でしょ? でも、謎が解けていくに従って、どんどん最初の印象が変わっていきます。
 舞台となるのは下野国の北見藩。藤沢周平の作品に於ける「海坂藩」と同様の、実在しない架空の藩です。
 ところが私、自分が知らないだけで、実際に北見藩というのが存在し、主君押込の事件があって、それらの史実をベースにしてフィクションを構築しているのだろうと、恥ずかしながら途中まで完全に思い込んでいました。上巻を読み終える頃、ふと「ん?」と思い調べてみたら、北見藩も、藩の人間たちも、どうやら実在しないらしい。それでも確信が持てなくて、わざわざ担当編集者の方に、「これ、架空ですよね?」と確認までする始末。それほどの実在感。鈴町筋の西通りとか神鏡湖とか、この世に存在しないなんて......。
 詳しくは書けませんが、そこに「時代小説でこのテーマを扱った作品ってあったっけ?」というネタが絡んできます。実際には江戸時代(より以前にも)、こういうものはあったんだろうなとは思うんですが、作中に登場する白田医師が非常に賢明というか現代的な視点の持ち主で、見過ごされずに済みます。
 苦しむ「お館様」こと重興を救うため、多紀や白田、織部だけでなく、五香苑の使用人であるおごうやお鈴や寒吉、多紀の幼なじみである田島半十郎など、それぞれが、先代藩主から続く、北見藩を取り巻く大きく入り組んだ謎に挑んでいきます。
 物語の背景に潜む闇は、非常に暗く陰惨で、目を逸らしたくなるほど救いがないところもあります。ですが、「お館様」を囲む人々が、みんな明るく、そして心優しくて頼りになる人ばかりなので、その暗さを寄せ付けない。
 個人的には、登場人物の中では、お鈴が好きでした。この子は幼い時、落雷が元で起きた火事で両親を失い、自身も大きな火傷の痕を負っている。
 ある日、五香苑の付近に雷が近づき、お鈴は恐怖のあまり硬直し、そして震えて泣き出してしまう。半十郎と織部が心配し、お鈴は多紀に付き添われて、体を丸めて押入れの中に隠れる――。
 メインのストーリーとはあまり関係のないエピソードだが、不覚にも目に涙が滲んでしまった。お鈴の心中を思い描いただけでなく、自分の子供の頃を懐かしく想起してしまったからです。そういえば、昔は雷の音がしたら、すぐに押入れに隠れていたなあ。そんなことすっかり忘れていた。今は家の中には押入れすらない(クローゼットならあるが)。
 お鈴だけでなく、他にも登場人物一人一人の、こういう何気ない日常を描いた部分が実に細やかで、お互いがお互いを思いやっている様が、しんみりと伝わってくる。
 この人たちがいたから、重興は救われた――。
 心の中に深く積もっていた雪が溶け、暖かい春の日射しで胸の中が満たされる。最後は、きっとそんなカタルシスを感じることができる物語です。

 (いぬい・ろくろう 作家)

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