書評・エッセイ

2017年9月号掲載

企みと希望に満ちた世界

――町田そのこ『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』

大矢博子

対象書籍名:『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』
対象著者:町田そのこ
対象書籍ISBN:978-4-10-102741-8

 第十五回「女による女のためのR―18文学賞」で大賞を受賞した町田そのこの短編「カメルーンの青い魚」が、素晴らしくいい。読み終わってからしばらく、余韻に浸ってしまったくらい、素晴らしくいい。
「大きなみたらし団子にかぶりついたら、差し歯がとれた」というコミカルにして印象的な一文で始まるこの短編は、サキコという女性と、彼女が幼い頃からずっとつきあってきたのに今はどこかに行ってしまった乱暴者の「りゅうちゃん」の話だ。
 ケンカの仲裁に入ったサキコをうっかり殴って前歯を折ってしまったりゅうちゃん。面倒をみてくれた左官の親方が死んでから、町を出ていってしまったりゅうちゃん。サキコのおばあちゃんのお通夜に、金髪に真っ黒のスーツでいきなり訪れ、サキコを抱いたりゅうちゃん。
 そんな思い出の断片が、どちらかといえば淡々と、けれどとても大事なものを手のひらでそっと包んで「はい」と差し出すような愛おしさとともに語られる。りゅうちゃんとの思い出も、サキコの来し方も、決して平板ではなくむしろ劇的なものなのに、過剰に感情をほとばしらせることなく、ゆったりと揺蕩うように伝えてくれる。
 それがとても心地よく、同時に、とても温かくて切ない。考えてみれば、今のサキコは前歯が団子にささって抜けるという極めて間抜けな状態にあるのだ。そんな歯抜け女にここまで感動させられるなんてずるい、と思わず見当違いの方向に文句を言いたくなるくらい、ステキな恋物語なのである。
 ところが、サキコが歯医者に向かう道すがら、そんなりゅうちゃんと十二年ぶりに再会するのだ。よりによって前歯がない日に。ここから物語が動くのだが......。
 いやあ、驚くぞ! まさかこの短編にこんな企みが隠されていたとは。本編はぜひミステリ好きの読者にも読んでいただきたい。読み終わってもう一度最初に戻り、伏線を確認したくなるような、そんな仕掛けがあるのだ。
 だが、すぐに再読したかというと、そうはならない。冒頭に書いたように、しばらく余韻に浸っていた。つまり仕掛けはあるのだけれど、それ以上に物語が生み出す世界の色合いが素晴らしいのである。ちゃんと生活感があって、伝えたい思いがあって、それが読者を包み込む。
 この「カメルーンの青い魚」を収録したデビュー短編集が『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』だ。受賞作と同じ町を舞台に、登場人物にも緩やかなつながりを持たせた連作になっている。
 表題作は夏休みにバイトに勤しむ中学生とその同級生を描いたもの。「波間に浮かぶイエロー」は、男から女に変る途中の(何を言ってるかわからないと思うが、そこは読んで確かめてほしい)飲食店経営者と、そこを訪れた妊婦の物語。「溺れるスイミー」は工場で働く女性とダンプを運転する男性の出会い。そして掉尾を飾る「海になる」は、夫のDVに悩む妻の物語。
 特に表題作がよくて、とか、「波間に浮かぶイエロー」が実に沁みる話で、とか言い出すとキリがないので(なんせ第一作だけで紙幅の半分を使ってしまったのだから)ぐっと我慢するが、共通するのは〈泳ぐ〉というテーマだ。
 登場人物たちは皆、自分ではどうしようもない生きづらさを抱えている。けれどそれでも、この世界を泳いでいこう、なんとか泳いでいけるさ、という希望に満ちている。
 泳ぐという言葉がいい。歩くよりも自由で、優雅で、進んでもいいし漂ってもいい。けれど泳ぐのは、歩くよりも全身を使う。歩くよりも息苦しい。流れに負けそうになることもあるかもしれない。でも、私たちは泳いでいけるよ、と彼女たちは言う。それが嬉しくて、とても幸せだ。
 どの作品も最初の一文がとても巧いこと、そして受賞作同様の企みや仕掛けがあることにも驚かされた。この著者にはいつかぜひミステリを書いてほしいものだが、それは先の話として、まずは素晴らしい新人の登場を言祝ぎたい。きっとこの世界を見事に泳いでくれるはずだ。

 (おおや・ひろこ 書評家)

最新の書評・エッセイ

ページの先頭へ