書評
2017年9月号掲載
一刀彫りで描かれた傑作医療小説
――谷村志穂『移植医たち』
対象書籍名:『移植医たち』
対象著者:谷村志穂
対象書籍ISBN:978-4-10-113259-4
谷村志穂さんは人当たりの柔らかい佳人である。だが見かけに騙されてはいけない。中身は酒豪の女傑なのだ。彼女とは講演会でご一緒したご縁だが昨年、久しぶりにお目に掛かった時いきなり、「××内閣ってとんでもないですね」と言われ面食らった。科学の基礎研究の予算を削り、大学はがたがたにされていると憤っていたのが二年ぶりの再会での開口一番の言葉だ。私も××内閣の経済重視の空疎な政策と幼稚な言動に危機感を抱いていたので、いたく共感したものだ。
そんな風に彼女の視線は常に社会に注がれている。そんな彼女がその時に「実は今、医療小説に挑戦していて」とこそりと告白した。聞けばかなり意欲的な内容で「医療の世界はアウェイなので、もう大変」といたずらっぽく笑っていた。
時が流れ、版元から書評依頼がきた。書名は「移植医たち」。
隠喩も修飾もない、ど真ん中の剛速球のタイトルはいかにも彼女らしい。移植医療は現代医療の極点で、実施には難問が山積している。まずドナー問題がある。脳死臓器が供給されるのは偶然の機会を待つしかなく、適用に設けられた厳しい規定もクリアし、しかも迅速に対応しなければならない。他人の臓器を移植するのだから、手術手技にミスは許されず、高度な外科技術が要求される。移植手術が成功した後の、恒常状態の維持が実は最大の難関だ。拒絶反応を抑える免疫抑制剤の開発、その適切な使用と免疫抑制状態と生命維持のバランスをとり続けるため、繊細かつ高度な実験データの積み重ねが必要とされる。実際、術中死より術後の拒絶反応などによる死の方がはるかに多い。
つまり移植とは巨大なシステムであり、それぞれのパーツを担う専門スタッフが結集して初めて達成される社会機構だ。こうした多様な各部門に対し、作者は誠実で丁寧な取材を重ね、患者の視点、経済的な問題、移植コーディネーターの協力体制など、移植医療の複雑さをドラマチックに描き出している。ドナー臓器を取りに行くリア・ジェットに乗り込む場面の華やかさや、その行為をハーベスト(収穫)と呼ぶ挿話など、印象的な場面も実に多い。
一九八五年のピッツバーグ。肝移植のパイオニア、セイゲル教授の下に九南大の佐竹山行蔵(さたけやまこうぞう)が留学する。佐竹山はセイゲルの手足となり奮闘していくうち、セイゲルの後継者の座へ上り詰め、師の夢だった全臓器移植を成功させる。
だがセイゲルは佐竹山を称賛しなかった。
「ドクター・セイゲル、我々は小腸移植をやり遂げました。お祝いしましょう」と言う佐竹山にセイゲルが告げる。
「コウゾウ、お前はそんなことに一喜一憂すべき人間ではない。君は人類のために働くべき人間なんだ、それを忘れるな」
その言葉に背を押され、佐竹山は北洋大の招聘を受け日本に帰国、日本の移植医療の構築に尽力する。
ピッツバーグでの佐竹山の奮闘は明るく乾いた筆致で描かれているが、帰国後の苦難は陰鬱なモノクロに描かれている。それは医療従事者のひとりとして悲しいが、紛うことなき日本の医療界の現実なのだ。
物語に彩りを添えるもう一人の重要人物、女医の加藤凌子(かとうりょうこ)は日本初の心臓移植手術を敢行した加藤泚嗣(せいじ)の娘だ。和田心臓移植事件を物語に関与させることで移植医療に対する日本と米国の姿勢の違いも想起される。セイゲルが肝移植で多くの患者を亡くし試行錯誤していた頃、日本初の心臓移植手術を断行した和田医師は殺人罪で告発された。それは最新医療、ひいては医療に対する社会理解の成熟度、医療行為に対するリスペクトの差だ。作者は当事者の娘を架空の存在として物語に配し、日本の移植医療の問題点も描き出した。
などと類をみない移植医療小説に医療従事者としてもっともらしく縷々述べたが、この物語はヒューマニズムに満ちた普遍的な小説だ。患者を助けたいという人間が根源的に持つ純粋な感情をモチーフに、道を切り拓く者の孤高の苦難を一刀彫りのようなシンプルな筆致で鮮やかに描き出している。
この作品を得、日本の医療小説は豊穣度を増した。五年続いた日本医療小説大賞は日本医師会の意向で休止されてしまったが、もう少し辛抱していればこのような傑作を世に紹介する機会を得て脚光を浴びただろう。惜しいことをしたものである。誰がなんと言おうと今年度の医療小説大賞は本作で決まりだ。
(かいどう・たける 作家)