書評・エッセイ

2017年10月号掲載

『ホワイトラビット』刊行記念特集

洗練された初期衝動

――伊坂幸太郎『ホワイトラビット』

宇田川拓也

対象書籍名:『ホワイトラビット』
対象著者:伊坂幸太郎
対象書籍ISBN:978-4-10-125032-8

 そういえば、こんな面白い話があってさ――と、ふいに語り始めるように、伊坂幸太郎『ホワイトラビット』の幕は、至極するりと上がる。
 新潮社から刊行される書き下ろし長編としては『ゴールデンスランバー』以来となる作品だが、そこに仰々しい気負った気配は微塵もない(大切なことほど大げさに伝えるべきではないと、これまでの作品で折に触れ教えてくれたのが当の伊坂幸太郎なのだから、当然ではあるが)。デビュー以降、全国の読者を魅了してきた数々の美点が一冊のなかにたっぷりとちりばめられ、同時に二〇一七年の伊坂幸太郎だからこそなせる軽やかなれど手の込んだ趣向が存分に味わえる、心憎いほど読者をもてなし、愉しませてくれる極上のエンタテインメントとなっている。
 とはいえ、そのくらい手が込んだ作品だからこそ、これから本作を読もうとしている方に、興を削ぐことなくお伝えできることは、じつはそう多くない。
「白兎事件」なる立て籠もり事件の顛末が描かれている。  オリオン座が大きく絡んでくる。
 ヴィクトール・ユーゴー『レ・ミゼラブル』も絡んでくる。
 せいぜい、この程度だ。
 なので、本稿では作品を解説するというよりも、おもに一読して得た強い印象について綴ろうと思う。
 まず本作は、国民的人気作家が改めて"物語る"ことを強く意識して紡ぎ上げた作品ではないかと感じた。
 冒頭で、「ただ、それを言うならそもそも世間で、仙台市で起きたあの一戸建て籠城事件のことを白兎事件と呼ぶ人間などそもそも一人もいないのだから」と断っているように、この作品世界では語り手(作者)だけが事件の全容を把握している存在だ。「白兎事件」の一番の面白みが聴き手(読者)に伝わるかは、誰を視点に、どこを見せ、どこを省いて話を進めていくか、その語りにすべてが掛かっている。少々踏み込んでしまうことをお許しいただきたいが、本作の語りのフォーマットは先に挙げた『レ・ミゼラブル』であろう。「白兎事件」を描くにあたり、この世界的名作に目を向けた根底には、百五十年を経てもひとびとを惹きつける語りの力への興味と現代作家としての敬意と挑戦があったのではないか。そのように思えてならない。
 また、物語とは、古代、夜に焚き火を囲む者たちの語らいから生まれた――という、どこかで聞き齧った説を、読みながらふと思い出したこともつけ加えておきたい。大衆に向かって言葉を発するのではなく、ページ越しに向き合った読者ひとりひとりに語り掛ける効能を再確認する。もしかしたらそのような試みもあったのでは――というのは穿ち過ぎだろうか。
 つぎに、毎ページごとといっても過言ではない、伊坂作品ならではの言葉や台詞の読み手への浸透度が上がり、よりいっそう洗練されている点に唸ってしまった。具体例を挙げることは控えるが、まるで活字のひとつひとつが水琴の音のごとく響いて胸を打ったかと思えば、何気なく発せられた台詞が一滴の墨を水に落としたように心を染めていくさまは、ほかの誰にも真似できるものではない。
 そして最後に挙げておきたいのは、伊坂幸太郎という稀代の作家の芯が新人の頃からまったく変わっていないことを、改めて実感できたことだ。
 私が勤める書店の売り場には、『重力ピエロ』単行本を世に出した直後、まだ作家・伊坂幸太郎が知るひとぞ知る存在だったころにいただいた色紙が、いまも飾られている。そこにはこう書かれている。
「泣けないけれど感動できる話を僕は書きたい」
 あの頃から大躍進を遂げ、いまや日本を代表する作家のひとりとして確固たる地位を築き上げても、当時の宣言を貫き続けていることが、本作でも証明され、じつに喜ばしく感じた次第である。
 ところで、ここからは余談になるが、ある箇所を読んでいて、某名作ミステリーを想起してしまった。これはもしかしたら伊坂幸太郎氏なりの表敬だったのではないか? と勝手に思ってしまったのだが、真相やいかに。いずれお目に掛かる機会が訪れたなら、ぜひとも伺ってみたいものである。

 (うだがわ・たくや 書店員/ときわ書房本店)

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