書評

2017年10月号掲載

人生を一変させる結婚の両義性

――ローレン・グロフ『運命と復讐』(新潮クレスト・ブックス)

中江有里

対象書籍名:『運命と復讐』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:ローレン・グロフ著/光野多惠子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590141-7

 結婚とは、他人だったふたりが家族となる契約である。
 一生が激変するかもしれない重大な契約を結ばせるのは、感情の高ぶりだ。人は恋や愛と名付けた感情を「運命」と信じて、結婚という道へ人生のハンドルを切る。その先にあるのは良い結末だと信じて。
 ここに衝動的ともいえる結婚をした男女が登場する。
 愛し合う彼らは、結婚したばかりの高揚感と一体感に浮かされている。まさに結婚のピーク状態。物語のクライマックス。若さあふれる、まぶしいほどの姿を読者の瞼に焼き付けて、物語の幕は開ける。
 裕福な家に育った、今は売れない俳優であるロットは、ある日恋に落ちる。相手はマチルド・ヨーダー。ある週末、初めてマチルドと夜を過ごしたロットは、彼女が処女だったことを知る。これまで数え切れないほどの女性と関係してきたロットは思う。
「この女性はいままで会った中で一番純粋な人」
 自分にとって都合の良い解釈を選ぶロットは、恵まれること、愛されることに無意識なナルシシストだ。自らに潜む女性蔑視の感情にも気づかない。
 二部制の本書の第一部は、ロット中心の世界が描かれる。
 冒頭はロットの両親のなれそめに続き、両親から愛されて育ったロットの子ども時代、父が急死してから、ロットを取り巻く世界が変わっていく様子を映しだす。ドラッグとセックスに溺れた学生時代に出会った英語教師は、悲劇と喜劇の違いをこう説いた。
「正解を言うと、違いなどない。あるとしたら、見方の違いだけだ。筋を語ることは同時に風景描写であり、悲劇は喜劇でありドラマである。要はどういう枠組みに当てはめて物事を見るか、ということだ」
 このセリフは本書を端的にあらわしている。
 人生という劇場で繰り広げられる物語の作家は、自分だ。演劇にのめり込み、やがて俳優から劇作家に転身、成功を収めていくロットは、身の上に起きる悲喜劇を情感たっぷりに語っていく。途中に顔を出す友人、妹レイチェル、叔母サリー、上の階に住む老女とその飼い猫たちもロットについて語りたがる。こうして彼を中心にして回る世界が終わろうとするとき、ロットは妻の秘密を知ることになる。

 貞淑な美貌の妻・マチルドの視点から描かれる後半部は、前半部では巧妙に隠されていた部分が剥がされていく。
 不幸な事故から、両親の愛を失った幼少時代、祖母、伯父の元で暮らした少女時代は、保護者の庇護なしに生きられない人間という生物としての弱さを突きつける。
 二十二歳で出会ったロットとの結婚生活、二十四年にわたった結婚生活のあとの時間が重奏的に綴られる。結果はどうであれ、ロットとの結婚は彼女の運命を変える出来事であり、これまでの人生から逃れる方法でもあった。
 中でも「オーレリー」と呼ばれた少女が、自らマチルドと名乗る場面は鮮烈に残った。素の自分を捨てて、マチルドになることで彼女は武装したのだろう。
 第一部で、ロットの理想の女性として存在したマチルドは、ロットという蓋が取れた途端、誤って振ってしまった炭酸のように吹き出していく。長年にわたって空気に混じっていた泡は、どこかで発散するはずの泡だったのかもしれない。自らの運命に復讐するかのようなマチルドに、不思議な爽快感を覚えた。
(自分の中に潜む邪悪なものは彼にけっして見せまい)
 名前や国籍を偽ったマチルドだが、ロットを愛する気持ちは真実だった。
 その愛は、彼女にとっても意外な結末だったのかもしれない。

 (なかえ・ゆり 女優・作家)

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