書評・エッセイ

2017年10月号掲載

おそれながらも、断然支持する

――畑野智美『消えない月』

吉田大助

対象書籍名:『消えない月』
対象著者:畑野智美
対象書籍ISBN:978-4-10-339482-2

 今年読んだ小説の中でもっともページをめくる手が止まらなかったのはこれだった、となることだろう。登場人物にもたらされた悪夢のような現実が、少しでもいいから浮上してくれる瞬間を求めて、とてつもない集中力で文章を追いかけ最後までページをめくらされてしまう。代表作『海の見える街』や『感情8号線』などで「大人の片思い」が題材の恋愛小説を描いてきた、畑野智美の最新長編『消えない月』だ。
「わたし」の視点から物語は始まる。世田谷区のどこかで一人暮らしをする河口さくらは、商店街の片隅にあるマッサージ店「福々堂」に勤めている。満開の桜が少し散り始めたこの日は二八歳の誕生日で、同僚達がサプライズでお祝いをしてくれた。その喜びを、大手出版社でバリバリ働く常連の松原さんに施術中、ぽろっとこぼす。誕生日の話題から相手の年齢が分かり(三つ上の三一歳)、お互いに恋人がいないという情報も交換できた。さくらは松原さんのことを、かっこいいと思っている。松原さんも実は、さくらのことを思っていてくれたということが、続くシーンで明らかになる。「福々堂でマッサージを受けている間に話すことは、マッサージ師と客としての会話だから、どんなに楽しくてもそういう気持ちで見てはいけないと思っていました」。でも......「河口先生のことが好きです」。
 マッサージ師と、その客。往年のフランス映画『髪結いの亭主』を彷彿とさせる、なんとも胸躍るシチュエーションなのだ。ただし、二人が一歩を踏み出す際には、絵空事だね、と読者に感じさせないリアルなシミュレーションが必須となる。さすがは、畑野智美。ときめきの中にコミカルさも交えて、二人が近付くプロセスを軽快に描き出し、たった三七ページで二人を両思いへと導いた。
 すると、次の章で語り手が「僕」に変わる。松原さんだ。彼のプロフィールが語られると共に、時間軸が巻き戻り、彼の視点からさくらとの出会いが語り直される。さくらに語っていた自己像はでたらめで、彼は中堅出版社の仕事ができない男であり、誰も自分のことを分かってくれないとイジける心の持ち主だった。「口答えするな」「ちょっとさ、スマホ出して」「男の連絡先、全部消すからな」。両思いになった二人の初々しくあたたかな時間はごくわずかで、男が女を束縛し、彼女の人生を支配しようとする日々が始まる。
 その後も一章ごとに「僕」と「わたし」が入れ替わりながら、物語は進んでいく。言い換えるならば、追う者と、追われる者だ。よりはっきり記してしまうならば、ストーカーと、その被害者。序盤は恋愛シチュエーションで導入されていた「リアルなシミュレーション」の想像力が、ストーカーする側・される側の心理や関係性の展開に適応されている。男はいつどこで、己の行動を正当化するどんな論理を携えて女の元へやって来るのか? 何度目かの襲来ののち、「わたし」は思う。〈月はいつも、振り返るとそこにある。/どこまで行っても、ついてくる〉。意外性が連鎖しサスペンスの緊張感が持続する、一分の隙もない構成だ。
 ストーカー問題に詳しい警察官は言う。「相手に会い、自分の怒りをぶつけるために、ストーカーは努力します。警察よりも被害者よりも、努力します。運は平等に、努力する者の味方をします」。「わたし」だけでなく、「僕」の視点を採用している理由は、努力を記述するためにある。運を引き寄せるためにある。そして、原点にある感情が「愛」である以上、男の身勝手な言動の数々は、絵空事でもなければ、他人事でもないことを読者に突き付けるためにある。痛いほど、不愉快なほどに心が刺激され、己の内にある黒い感情や負の想像力の存在に気付く。おそろしい小説だ。だが、きっと、読んでおいた方がいい小説だ。体であれ心であれ、傷を治すためには、消毒液や絆創膏は効かない。唯一の治療法はウミを出し切ること、それだけなのだから。
「大人の片思い」を描く恋愛小説で知られる作家が、その思いを負の方向へと伸ばしていった時、おそるべき犯罪小説が生まれてしまった。畑野智美のこの路線を、おそれながらも、断然支持する。

 (よしだ・だいすけ ライター)

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