書評

2017年10月号掲載

今月の新潮文庫

“魂”を巡る、忘れがたい物語

――乾緑郎『機巧のイヴ』(新潮文庫)

北上次郎

対象書籍名:『機巧のイヴ』(新潮文庫)
対象著者:乾緑郎
対象書籍ISBN:978-4-10-120791-9

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 第一話「機巧のイヴ」の冒頭近くに、江川仁左衛門が蟋蟀を切るシーンがある。天府城の大広間で開かれた闘蟋会(蟋蟀を闘わせる)で、自藩の松風が負けたことはおかしいと相手の蟋蟀を一刀のもとに切ってしまうのである。すると、次のような光景が現出する。
「濡れた毛氈の上に、胡麻粒のように細かな歯車が数十個、飛び散っている」
「真っ二つになった闘蟋は、それでもなお、バネ仕掛けが飛び出した後肢を虚しく動かしていた」
 ようするに蟋蟀は機巧人形だったのである。強烈な印象を残すシーンといっていい。本書は全五話からなるが、この切れ味鋭い第一話「機巧のイヴ」を読み始めたらもう止められない。最後まで一気読み必至のSF伝奇小説だ。
 乾緑郎は、第一長編『忍び外伝』で朝日時代小説大賞を受賞して2010年にデビューしたが、同年にはSFサスペンス『完全なる首長竜の日』で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しているから、SFと時代小説の融合はこの作家にとって必然だったとも言える。
 本書の設定を簡単に紹介しておくと、天府(江戸ではない)を中心に幕藩体制を敷く将軍家と、女系によって継承される天帝家が対立している「もう一つの日本」が舞台。物語の狂言まわしは、幕府精煉方手伝という役職の釘宮久蔵(天才的な機巧師)と、美女伊武(機巧人形)。彼らを中心に物語は展開していく。SFと時代小説の融合については過去にさまざまな作例があり、興味のある方は本文庫の解説で大森望が詳細に紹介しているので、そちらをお読みいただきたい。
 ここでは、そういう知識がまったくなくても、とにかくひたすら面白いということのみ書いておきたい。たとえば、第二話「箱の中のヘラクレス」だ。ここで主人公となる十八歳の天徳鯨右衛門は、幼いときに女郎の母に捨てられ、いまでは湯屋で下働きをしている。彼は相撲取りでもあり、ある日八百長をもちかけられ――と展開していくが、第一話「機巧のイヴ」がミステリーであるとするなら、この第二話は人情話でもある(久蔵と伊武が絡んでくる後半の展開が面白い)。もう縦横無尽なのだ。
 この多彩な読み味だけでも十分に興味深いのだが、いちばん強い印象を残すのは最後の二話、すなわち、第四話「制外のジェペット」と、第五話「終天のプシュケー」だ。この二話だけで本書の半分を占めている。
 まず、第四話「制外のジェペット」で主役となるのは、天帝に仕える春日。この少女の身柄をめぐって公儀隠密と天子方の争いが勃発する。この虚々実々の争いの裏側にひそむ真実を、巧みに隠す構成が素晴らしい。ここから第五話「終天のプシュケー」につながる終盤の展開は、壮大で、スリリングで、忘れがたい。第一話「機巧のイヴ」のときには、まさかこういう話になるとは思ってもいなかった。
 釘宮久蔵の師匠である恵庵の、次の言葉も印象深い。
「人とは詰まるところ、複雑難解さの極まった機巧に過ぎぬ」「魂と、魂にあらざるものの間に境目はない。ただ複雑さと多様さに差があるだけだ」
 つまり、機械に魂はあるのか、という地点にまでこの物語は到達するのである。物語のラスト、機巧人形の目から涙が溢れ出るシーンがある。そこで作者は次のように書いている。
「瑪瑙と硝子細工で作られた眼球の下に、魚の浮き袋を特殊な技術で鞣(なめ)した涙袋が仕掛けてある。バネと撥条の仕掛けで顔の形が歪むと、押し出されるようにその中に溜まった水が溢れ出てくる仕掛けだ」
 その仕掛けを知っていながら、ある登場人物が次のように述懐することに留意したい。
「この女の目から涙を溢れさせているのは、機巧ではない。悲しみがそうさせているのだ」
 この言葉が真実か否かは、読者に委ねられる。本書から百年ほどあとの時代を舞台にした「続篇」がいま書かれているということなので、そちらの完結も楽しみに待ちたい。

 (きたがみ・じろう 評論家)

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