書評

2017年11月号掲載

人生そのものが小説だった夫へ

――野坂暘子『うそつき 夫・野坂昭如との53年』

松田哲夫

対象書籍名:『うそつき 夫・野坂昭如との53年』
対象著者:野坂暘子
対象書籍ISBN:978-4-10-351271-4

「野坂昭如さんとの五十三年間。それは海に浮かぶ木の葉みたいなものだった」
 この本は、昭和を代表する破滅型作家の妻として、破天荒な日常を過ごしてきた一人の女性の半生記である。
 昭如さんは、最盛期には、週刊誌に三本の小説やエッセイの連載を持ち、主要な小説誌には毎月のように登場し、月刊誌その他のエッセイ、対談、インタビューも目白押し。単行本も次々に出版される。その上、歌手・CMタレントでもあり、テレビ出演もひっきりなし。あげく、選挙にも出馬する。夜は、ひたすらアルコールを摂取し、家には朝帰りの日々。
「野坂は一歩家を出たら糸の切れた凧(中略)ヘロヘロのベロベロで使いものにならなくなってようやくのご帰館」
 その結果、肝臓機能に障害が生じ、きつく酒を禁じられるが、構わずに飲み続ける。そして、二〇〇三年、脳梗塞で倒れ、暘子さんが厳しく目配りしたリハビリ生活が始まる。
「今日も鬼軍曹の怒声が響く。ぼくはバッタのように飛び上ってリハビリにいそしむのだ」
 この回想記は、晩年の日々が中心だが、暘子さんの筆は思い出のページをめくるように、いろんな時期に自在に飛んでいく。最初は、少々戸惑うが、こういうスタイルのおかげで、どんなつらいことも、悔しいことも、悲しいことも、そこで煮詰まらせることもなく、サラリと次の話題へと移っていく。こういう、あとを引かない性格の暘子さんだからこそ、介護する人もつらいリハビリを続けることができたのだろう。
 ところで、このご夫婦は、それぞれに思いがけない行動やとぼけた言動をする。それが、まるで漫才のようなので、ついつい笑ってしまう。だから、回顧ものや闘病記にありがちな重苦しさやお涙頂戴とは無縁である。
「娘によく言われていた。『パパとママってバカらしいコントをよくやってたよね』」
 思い出の描写で言えば、お二人が出会ったころのお話は微笑ましいものが多い。暘子さんは、うら若きタカラジェンヌ。紹介者を介して会った十歳年上のお兄さん(オジサン?)昭如さんは、面識ができると、ダンボール箱一杯のチキンラーメンを差し入れるなど、猛烈なアタックをかける。黒眼鏡の、怪しげな風体のこの男は、つきあってみると、礼儀正しく、言葉づかいもていねいで、次々に面白い話を聞かせてくれる。勢いに押され、暘子さんは昭如さんと結婚する。
「世間知らずの私には、とんでもない世界が待っていた」
 二十一歳の時、目のくらむような結婚生活に飛び込んでしまった暘子さんは、しだいに昭如さんの心の底にあるものが見えてくる。小心でうそつき、まるで自死を望むかのごとき酒への傾き。その原点に神戸の養家があり、幸せだったその場所には養父母、義妹がいた。そして、神戸大空襲、自分一人が生き残る。そのことに後ろめたさを感じて生きてきた。
 暘子さんは、右手が不自由になった昭如さんの語る言葉を原稿用紙に書き記す仕事を手伝うようになる。この経験を通して、昭如さんの文章を熟読して、暘子さんの心に響いた、核心に触れる部分が、この本にも紹介されている。
「ぼくは嘘つきである。年中嘘をついて生きてきた。そのため嘘と本当の境目が自分でも危っかしい」
 ところで、いきなり聞くとドキッとする「うそつき」という書名だが、最初は、日常的にうそにうそを重ねる昭如さんに対する憤りから発したものだったのだろう。
 でも、口述筆記を通して、昭如作品を深く読み込んだ暘子さんは、天性の小説家、物語る人という意味で、「うそつき」と呼ぶようになったのではないか。ぼくはそう思う。
「生れたその時から小説だった。彼の人生のページをめくるたびに、その一ページが小説だった」

 (まつだ・てつお 書評家)

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