書評
2018年2月号掲載
『ヒトごろし』刊行記念特集
史上最もダークな土方歳三が問いかけるもの
――京極夏彦『ヒトごろし』
対象書籍名:『ヒトごろし』
対象著者:京極夏彦
対象書籍ISBN:978-4-10-339612-3
新選組が斬殺した勤王の志士の仲間が新政府を作った明治時代は、新選組が非情な暗殺集団として語られていた。
こうした歴史観の見直しが始まるのは、子母沢寛『新選組始末記』が刊行された1928年以降である。それからは剣の達人が揃っていた新選組らしい剣豪小説はもちろん、効率的に人を斬る組織論に着目した企業小説、若き隊士たちの成長を描く青春小説などとして新選組を描く作家も出てきた。
名作が多い新選組ものに京極夏彦が切り込んだ本書は、土方歳三が人を殺すために新選組を作ったとしており、新選組ものの原点に回帰したかのような陰惨な物語となっている。
薬の製造販売も行う豪農の家に生まれた歳三は、七歳の時、若い中間と密通して逐電した武家の妻が、追っ手に切り殺され血しぶきをあげる場面を目撃する。それから歳三は、刀を使って人を殺すことに「欲動」を抱くようになる。
しかし、不義者への成敗にしても、仇討ちや主君の命を受けての暗殺にしても、殺人が許されるのは武士だけで、農民の歳三には自分を魅了した刀の所有も許されなかった。
密かに人殺しを続けていた歳三だが、刀が持てず、捕まれば処罰されることが不満だった。そんな歳三に、勤王派と佐幕派が争う幕末の混乱が好機をもたらす。上洛する将軍を警護する浪士組に入り上京した歳三は、天然理心流剣術の道場・試衛館の近藤勇、沖田総司らを適材適所に配置し、確実に人を殺し、罪にも問われない組織=新選組を作り上げる。
著者は、歳三だけでなく、人の上に立ちたいとの欲望が強い近藤、一種の快楽殺人者だが、歳三と違って相手をいたぶることも好む沖田、法の枠内で自分の思い通りにものごとを動かすことが好きな山崎丞など、新選組の隊士を常識や倫理から逸脱したいずれ劣らぬ「人外」のモノとしているのだ。
歳三の「欲動」が、新選組が起こした事件の原動力になったとして歴史を読み替えているので、結果を知っている歴史好きや新選組ファンも驚きの展開を見ることになるはずだ。
的確に布石を打ち、新選組隊士を自在に操る歳三が、芹沢鴨の粛清、池田屋襲撃、分派して御陵衛士を結成した伊東甲子太郎一派の謀殺などを確実に成功させるため、着実に計画を進めていくところは、最初に事件を描く倒叙ミステリのような面白さがある。特に、御陵衛士を皆殺しにするための陰謀は、見廻組の佐々木只三郎を動かしたり、坂本龍馬の暗殺がからんだりするだけに壮大で、身震いするほど恐ろしい。
倒叙ミステリの殺人は、探偵役に誤謬を指摘されて失敗する。だが人を合法的に殺す立場を手に入れた歳三は、それが露見したとしても誰にも咎められない。まさに完全犯罪である。人殺しは、古くから世界中のどの地域においても、法的にも倫理的にも“悪”とされてきた。その一方で、犯罪者の処刑、戦争で敵を殺す、かつては殺された親族の復讐など、罪に問われない例外もあった。著者は、この矛盾を示し、それを克服する方法を発見し人殺しを続ける歳三を通して、なぜ人を殺してはいけないのか、さらに“悪”とは何かを突き詰めており、読者は自分の良心と向き合うことになるだろう。
物語の終盤になると歳三は、銃と大砲を備えた新政府軍と戦うことになる。刀による人殺しにこだわる歳三は、大砲の一撃で何十人があっという間に死ぬ戦争は「穢い」と考えるが、戦争が大量の死をもたらす時代の到来には抗えない。
歳三は「人外」な故に、最初から戦争を嫌い、国と国との戦争になれば、すべての国民が「人外」になると気付く。長い太平から目覚めた武士が、外国の脅威と愛国心ゆえに過激な行動に走った幕末は現代と似ているだけに、人殺しと戦争をめぐる歳三の深い思索は、重く受け止める必要がある。
(すえくに・よしみ 文芸評論家)