書評・エッセイ

2018年2月号掲載

『ヒトごろし』刊行記念特集

情性欠如者の逆説

――京極夏彦『ヒトごろし』

春日武彦

対象書籍名:『ヒトごろし』
対象著者:京極夏彦
対象書籍ISBN:978-4-10-339612-3

 情性欠如者という言葉がある。ハイデルベルグ派の精神病理学者クルト・シュナイダーが1949年に出版した『精神病質人格・第九版』では、「同情、羞恥心、名誉感情、後悔、良心というものをもたない人々である」と直截に記していて、似たような概念には過去において「背徳症」とか「道徳精神病」「人倫的色盲」「道徳白痴」「非倫理的症候群」等のネーミングが存在したと述べている。さらに、「......情性欠如型の人のすべてがすべて犯罪に陥るというのではない。社会的により高い階級の人では、特に、そのようなことがない。犯罪的でない情性欠如型の人は、あらゆる種類の地位においてしばしば驚くべきことを遂行することがある。これは『屍を越えて進む』鋼鉄のごとき堅い人達であるが、彼らの目的はまったく主我的のものであるとは限らず、理想に適うものでもありうるのである」と。つまり進む道さえ誤らなければ、彼らは『文藝春秋』や『プレジデント』のグラビアを飾る可能性もあるというわけだ。
 個人的には、情性欠如者なる名称は何だかニヒルでひんやりした感触が伝わってきて好ましい。眠狂四郎を思い出す。ただし昨今ではこの名称は使われていない。反社会性パーソナリティー障害の一部がそれに該当し、最近ではサイコパス(医学用語ではない)がもっとも人口に膾炙している。
 土方歳三はまぎれもなく情性欠如者でありサイコパスである。なぜそのような人物がときおり生ずるのか。遺伝とか生育史等で簡単に説明はつかない。発生途上における一種のアクシデントか。いずれにせよ、いつの時代にも一定の割合で出現する人達と思っておいたほうが良さそうだ。おまけに上手くいけば様々な意味で世界の改革者になり得る。
 サイコパスは、つまらぬ常識や先入観、いじましいプライドやけちな損得勘定を超越する。ただしそういったものが世間一般では重視されていることを承知しているから、そのような価値体系や固執を利用して他人を操ることも可能である。内省や躊躇がない。常に最短距離を選べる。能率という観点からは、彼らは理想的な人間とも言えよう。だが、しがらみやセコさを人間らしさの源と考えるならば、おそらくサイコパスは昆虫や爬虫類に近い。
 本書では、主要人物に限っても、少なくとも四人のサイコパス(物語の中では人外(にんがい)と呼ばれる)が登場する。歳三は言うまでもなく、長兄で盲目の石翠、沖田宗治郎、監察の山崎。こんなにサイコパスだらけの小説は初めてだ。しかもそれぞれが明確に描き分けられている。当方としては石翠にもっとも親近感を抱くのだが、そのような楽しみ方が出来るのも筆力がもたらした成果だろう。
 注目すべきは、人外の者であった歳三の徹底的に非情で理詰めの思考がいつしか賢者や哲学者に近似してしまうことである。「志も大望もねえよ。俺は人を殺すために、それだけのために近藤を担いで新選組を作ったんだ」と嘯いているにもかかわらず、彼の言い分がいちばんまともに聞こえてきてしまうプロセスは興味深い。
 歳三の心の中にはとんでもなく大きな空虚感がある。それゆえに、世界はモノクロにしか見えないだろう。おそらくサイコパスにとって世界の色彩は、非情を反映した無彩色か、歯止めを失ったゆえに蛍光の極彩色が渦巻くか、そのいずれかなのではないか。世界が寒々としたモノクロに映る人外は、鮮烈な赤を求めて人を殺す。極彩色に映る人外は、それに合わせるべく、鮮烈な赤を求めて人を殺す。
 幼い頃に歳三は血に魅せられた。魅せられるための準備状態は既に整い、空虚感を抱えた彼の心は血との邂逅を待ち受けていたのである。

 (かすが・たけひこ 精神科医)

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