書評
2018年3月号掲載
相手を映す鏡のような、
――谷瑞恵『額を紡ぐひと』
対象書籍名:『額を紡ぐひと』(新潮文庫nex 改題「額装師の祈り 奥野夏樹のデザインノート」)
対象著者:谷瑞恵
対象書籍ISBN:978-4-10-180207-7
誰かのことを深く知り、受け止めることは、自分のことを知ることに繋がるのだろうか。そんなことを思いながら読み進めた『額を紡ぐひと』。
主人公・奥野夏樹は神奈川での暮らしから心機一転、はじめての土地である西日本へやってきて、ちいさな額縁店をはじめる。看板もなく、変わった額がひとつ窓辺に飾られているだけの店は、ほとんど工房のようなもので、仕事は知り合いなどから持ち込まれる額装の依頼で成り立っている様子。界隈では有名な大手の表具額縁店くおん堂の次男坊、久遠純は、夏樹の一つ年下で、年中アロハシャツでフラフラしているような男だが、近所の行きつけのカレー屋で知り合ってから何かと夏樹を気にかけている。そんな純は「夏樹ならどんなものも飾れるように額装してくれる」と言っていろんな知り合いを連れてくる。そんなお客さんたちが額装したいと持ってくるものは、一癖も二癖もあるような代物。大切にしている「枯れた宿り木」を額装して自分のネイルサロンに飾りたいという人もいれば、飼っていたのに逃げてしまった、羽の色すら定かには覚えていないセキセイインコの「声」を額装したいなんていう人も......。
夏樹の額縁作りは、
〈ほとんどの場合、中に飾るものにあわせてデザインする。どんなイメージで飾るものを引き立てるのか、依頼人の理想を取り入れながらも、夏樹自身がそのものにできるだけ近づき、オートクチュールのようにぴったりと体にあった一点ものの額縁を作るのだ。(略)額を飾る場所も無視できない。部屋の雰囲気、インテリアと調和するように考える必要がある。だから夏樹の仕事は、額縁を作るだけではない。中身を保存に適した状態に固定して額装し、依頼人が望む場所へ飾るまで、すべてを考える必要があった。〉
というものであるから、依頼人がその額を飾りたい場所へ行き、依頼人と額装されるものとの関係を丹念に調べ、そのストーリーをデザインにおこしていく。額装されたものは、ずっと依頼人の目に触れるものとなり、心に作用していくものだから、その佇まいはとても重要なのだ。
冒頭を読んでいる頃、この額装という仕事は、もしかして本の装幀(わたしの仕事です)にとても近いのではないかと思っていました。作品に対して、一番適していると思われる形を与える、というところにおいて。でも、読み進めていくうちに、むしろ真逆の仕事なのではないかと思い当たってきました。額装は額装される作品そのものだけではなく、額装したい人間のためのものでもあり、その人とずっと共にあるものであるけれど、本の装幀は作品そのものを固定するものではなく、むしろもっと流動的なところへ持っていくためのもの、という気がするからなのでした。一人のものではなくて、みんなのもののような。たどり着く場所が決まっていないというのも大きいのかもしれません。だから夏樹がどんどん相手に踏み込んで、パーソナルな額を目指していく度に、わたしは少し狼狽えてしまいました。もし額装の仕事をするとしたら、とても戸惑ってしまいそうです。
さて、小説に話を戻すと、夏樹が額縁職人になったきっかけには、額縁職人であった婚約者の事故死がありました。幼なじみであり、心の拠り所でもあった彼に近づこうと、役所勤めをやめて職人に転身した夏樹。しかも、その事故死に関わる人物である池畠という男性に近づくために西日本にやってきたのです(額縁作りのプロセスもプライベートも暗めだけどアグレッシブ)! 池畠はカレー屋を営んでおり、通ううちに、少しずつ言葉を交わしていく二人。飄々とした純もからんで、いろんな額装をしながら、少しずつ少しずつ、絡まった糸がほどけていきます。
額装をすることで、相手と向き合っていく夏樹。大学では油絵を描いていたという純から、忘れられない光景を描いた作品の額装を頼まれたことで、純のことも知っていき、ついには池畠からも額装したいもの、を手渡され......。
誰かを知って、それを解釈していくというのは、自分の考え方に向き合っていくということなのかな、と夏樹の額縁作りの変遷を見て思いました。そういえば、我が家には額装していない大事な絵があって、なかなか額装に踏み切れないのは、飾る場所が、はたまた自分が、未確定だからなのかもしれません......。
(なくい・なおこ ブックデザイナー)