書評・エッセイ

2018年4月号掲載

何かからかけ離れていく心地よさ

――町田康『湖畔の愛』

戌井昭人

対象書籍名:『湖畔の愛』
対象著者:町田康
対象書籍ISBN:978-4-10-131934-6

『湖畔の愛』は、湖畔に建つホテルが舞台の物語だ。私事で恐縮だが、この小説と同じように、湖畔に建っているホテルの息子が友達にいて、そのホテルで毎年恒例のディナーショーが行われるとき、人手が足りず、何度か手伝いに行ったことがある。もう二〇年以上前だが、ある年は、冠二郎のディナーショーだった。自分は、冠二郎のファンだったわけではないが、「どうぞどうぞ」と本人から色紙のサインをもらい、以来、いつでも冠二郎が気になって仕方がない。ちなみに当時は町田町蔵+北澤組のライブによく行っていた。このように、『湖畔の愛』を読んでいたら、いろんなことが蘇ってきた。冠さんは、わたしのようなアルバイトにもサインをくれるような、人に気を使う人だったが、自我まるだしの感じもある不思議な人だった。さらに日清パワーステーションの町田さんのライブに興奮しまくっていた自分や、ホテルの従業員が個性的な変な人たちが多かったのを思い出した。
 この小説は湖畔のホテルで働く新町という男を軸に三編の物語からなっている。新町は、誰も見ていないと、ひとりで笑ったり、踊ったり、変テコな独り言を発したりしている。わたしが手伝っていたホテルにも、やたらニコニコしている従業員がいたが、彼が壁に向かい、ものすごい形相でぶつぶつ言ってるのを見たことがあった。彼も新町も、仕事のストレスで、そんな風になってしまったのだろう。客商売はストレスが溜まる。とくにホテルは大変だ。
「湖畔」という最初の一編は、ホテルに初老の客がやって来る。新町はにこやかに「いらっしゃいませ」と出迎えたが、その客は無言で突っ立っている。そこで新町は思う、「こういう客が一番困るんだよなー。なんてことを思うかあ、ぼけっ。お客様は大事なんだよ。それはカネとか儲けとかそういうことじゃないんだよ。お客様がいらっしゃってくださって嬉しい、と心から、というかもう、腹から思う気持ちが、それだけが俺たちの仕事の根幹の本質の肝の要なんだよ、バカンダラ。」
 新町さん、だいぶ葛藤している様子だ。さらに初老の客は、その後、言葉を発しはじめたものの、「わしゃいろげでむこのでわしゃいろげであいざいだいやたたらふし」と、何を言っているかわからない。それでも真摯に対応しようとする新町であったが、やはり訳がわからず、初老の客が怒りはじめる。そこにホテルで働いている、というか、いつもウロウロしているスカ爺がやってくる。スカ爺は、なんなく彼と会話ができた。彼は太田といって、真心を研究するため、言葉を排除して気持ちだけで喋ったらどうかと思い、それを実践する旅に出ていたのだ。なんだかもう、わたしたちの想像や予想を遥かにぶち超えている。
「雨女」は、嬉しいことがあると雨を降らしてしまう雨女と、彼女を好きになってしまった男のロマンスだ。そこに女性誌のいけすかない編集者、カメラマン、龍神まで出てきて民話のような趣もあるが、ただのロマンスや民話では終わらない。ここでもスカ爺が活躍する。
「湖畔の愛」では、ホテルの経営者が代わり、新町は支配人から降格させられている。スカ爺は湖に落ちて死んでしまった。そんなこんなで、ホテルの雰囲気が以前とは違う。だが新町は働いている。そして、あいかわらずのストレスだ。そこに大学の演劇研究会の者共がやってきて、てんやわんやの大騒動。出てくる人々は、とんでもない美女や、彼女にふりまわされている美女二人、同じく美女にふりまわされている演劇研究会の男二人、そこにホテルで働く老人や、そいつを追いかける男たち、などなど、誰が誰を巻き込んでこんな騒動が起きているのか、わからなくなってしまうくらい、ぐっちゃんぐちゃんになっていく。
 しかしながら、このような調子で、てんやわんやを描きつつも、ぐいぐい進んでいくのがこの小説の醍醐味であり面白さだ。それでいて細かいところに目配りが行き届き、メチャクチャだけれど骨組みがしっかりしている。最初のボタンの掛け違いから、一万年経っても気づかずに掛け違っていて、いや気づいているのに、もう構わねえやって感じ。町田さんの小説は、何かからかけ離れていく心地よさを味わわせてくれる。
 ストレスばかり溜まる世の中です。それならば、もう構わねえやって感じでゴロゴロ転がっていくしかない。だって、明日は湖に落ちて、死んでしまうのかもしれないのだから。

 (いぬい・あきと 作家)

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