書評
2018年4月号掲載
彼女が自由へと超越していく日
――グレアム・スウィフト『マザリング・サンデー』(新潮クレスト・ブックス)
対象書籍名:『マザリング・サンデー』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:グレアム・スウィフト著/真野泰訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590145-5
イギリスのメイドの世界における"マザリング・サンデー"は、江戸時代の丁稚にとっての藪入りのような日だったようです。藪入りは盆と正月の二回ありましたが、マザリング・サンデーは年に一度、メイド達が母親のところに戻ることを許された日。
この物語は、1924年3月のマザリング・サンデーの一日を描いています。使用人達がいなくては家事がまわらなくなるのが、ご主人様達の世界。その日は家で食事をすることができないので、シェリンガム家、ニヴン家、ホブデイ家の夫婦が誘い合い、遠出をして昼食会を開くことになりました。
使用人は母親のところへ帰り、主人達も昼食会へ。となれば三軒の屋敷には誰もいないはずです。しかしその時、シェリンガム家では、一組の男女が一糸まとわぬ姿でたわむれていました。それは、その家の息子のポールと、ニヴン家のメイドであるジェーン。
ジェーンは孤児であり、マザリング・サンデーに帰る家がありませんでした。ジェーンと数年前からそのような関係にあったポールは、マザリング・サンデーで家が空いたからこそ、初めて彼女を自らの屋敷へと呼び入れたのです。
二人の間には、厳然とした身分の差がありますが、服を脱いだ関係において、身分差は問題になるものではありません。しかしポールが婚約しているのは、昼食会に参加しているもう一組、ホブデイ夫妻の娘。ジェーンとの事が済めば、彼は婚約者との約束へと向かうのです。
男性側から見た時、性的興奮が高ぶる相手の順位として「一盗二婢(いっとうにひ)」という言葉があるようです。すなわち、他人の妻を盗むのが一番、婢に手をつけるのが二番、というように(三妓四妾五妻(さんぎししょうごさい)、と続くらしい)。
ポールにとってジェーンは、自分が雇用しているわけではないものの、「婢」。他人の妻ではないものの、他人の使用人ということで「盗」にもあたるかもしれません。いずれにせよ、他家のメイドとそのような関係を続けるということは、お坊っちゃまにとっても、またメイドにとっても大胆な越境行為であり、だからこそ行為がもたらす興奮も激しかったものと思われます。
しかしポールがジェーンを屋敷の中に入れ、あまつさえ自分のベッドに招き入れたという行為は、越境の度が過ぎたのでしょう。ジェーンという異物がシェリンガム家に入り込んだことによって、何かのバランスが崩れ、そこから物語は、思わぬ方向へと展開していくことに。
事が果て、婚約者に会うために出かけていったポールと、他家の屋敷に裸のまま残されたジェーン。彼女は裸のまま、屋敷の中を歩き回ります。衣服をつけていない彼女は、身分の差のみならず、あらゆる縛りから自由になっていたのであり、その時の彼女の経験が、その後の人生を変えていくこととなる。
6月のような天気だった、マザリング・サンデー。その日、二十二歳のメイドであったジェーンの中には、「種」が蒔(ま)かれたのです。それは、性行為の結果という身も蓋も無い意味での、「種」。そしてもう一つ、自分が自分であるということを確認した彼女が、その先の人生という枝葉を伸ばしていくための「種」が。
階級の壁を越境した男女の関係を描く小説は、珍しいものではありません。そんな関係が性的興奮をもたらすことも、私達はよく知っている。上つ方の性的玩具にされた「下」の階級の女性はたいてい、可哀想な被害者として描かれるものですが、本書はそうではありません。人目を避けて越境していただけの階級の境界線を、マザリング・サンデーをきっかけとして、彼女は超越していくこととなりました。
長生きをしたジェーンは、その日のことを思い返すことがあります。名前すら親から与えられずに捨てられた彼女は、マザリング・サンデーに、おそらくはもう一度、「生まれた」のです。セックスはただ、一時の快感をもたらすだけではない。セックスの結果として残された種はやがて発芽し、実を結ぶことを、この物語は示すのでした。
(さかい・じゅんこ エッセイスト)