書評・エッセイ

2018年4月号掲載

〈日本ファンタジーノベル大賞〉復活記念特集

閉じられた「現実」を拡張する少女

――柿村将彦『隣のずこずこ』

神谷達生

対象書籍名:『隣のずこずこ』
対象著者:柿村将彦
対象書籍ISBN:978-4-10-102441-7

 四年ぶりに再開した日本ファンタジーノベル大賞受賞作の舞台は、人口三百人程度の小さな集落「矢喜原」。この地方では、「権三郎狸の話」という奇妙な昔話が代々語り継がれており、それを知らぬ住民はいない。村人を一人残らず丸呑みしたうえ、火を吐いて村を全滅させた巨大な狸の伝説だ。
 全校生徒で十人しかいない中学校に通う少女「はじめ」の一人称で語られる小説の冒頭、ゴールデンウィーク後半の五月五日。彼女はクラスメイトからの電話で、権三郎狸が現れたことを知らされる。狸が逗留しているらしい村の古い旅館に半信半疑で向かうはじめ。果たして、信楽焼の狸の置物そっくりな一メートル半ほどの二本足歩行する化け物は実在した。「狸憑き」の女性あかりさんとともに、五月一日に村にやってきていたのだ。災いはすでにはじまっていた。
 狸憑き以外にはその声が聞こえない権三郎狸の代わりに、あかりさんから一ヶ月後の矢喜原の破壊が宣告された後、正式なルールが伝えられる。主なものは、次の通りである。
・狸の徹底した破壊の後には人も建物もなにも残らない。
・狸は到着した時点で村にいた人全員を確実に呑み込む。
・狸に呑まれた村や人のことは誰にも思い出せなくなる。
 残された時間は三週間ばかり。知らぬ間に権三郎狸のシステムに組み込まれていたはじめを含む住民たちはしかし、突然降りかかった冗談のような厄災にたいして、疑問を差し挟むでも、抗うでもなく、諦め、悟ったかのような態度を示す。黙々と農作業を続けるおじさん、最後の晩餐さながらにバーベキューをはじめるクラスメイトの一家、海外への逃亡を企てる家族......すべて、近々権三郎狸によって引き起こされる悲劇を前提にしたうえでの行動である。姉に乱暴した同級生の伊藤を、はじめが半殺しにするという過激な事件も発生するが、それもまたこうした流れの延長線上でしかない。
「もう起こってしまったことなのです。しかたがないと、どうぞ諦めてください」
 そんなあかりさんの声を明確に拒絶したのは、町外出身の二人である。矢喜原に赴任していた若い米内先生は、この事態に耐えきれず「壊れて」しまった。そして、もう一人。二年前に引っ越してきたはじめの同級生恵美は、権三郎狸への反撃を計画し、はじめを誘う。曖昧な態度でそれを断ったはじめだが、彼女の生への強い執着に接したことで、気持ちに変化が訪れ、物語は大きく動き出していく。
 タイムリミットまで二週間に迫った頃、空き家の放火が頻発する。これにたいする住民たちの反応が面白い。町で暮らすほとんどの男性で構成される消防団を挙げて、権三郎狸を見張るというのだ。理解の範疇を超えた状況に戦わずして降参していたはずの大人たちは、目に見える具体的な問題のためなら行動を惜しまないようである。それならきっと、自分たちで解決できるかもしれないと思えたのだろう。
 さらに、権三郎狸にまつわるもう一つのルールが明かされる。
・狸は狸憑きにはなにも忘れさせてくれない。
 あかりさんは、権三郎狸によってこれまで壊滅させられたすべての村や人を記憶させられている。不条理なルールを背負わされた彼女もまた、ただの「役割」でしかなかったのだ。そんなあかりさんから、自身にまつわる「ある過去」を知らされたはじめは、いよいよ立ち上がる。〈わからんものはわからんで仕方ない。それを無理矢理解釈してしまおうとするのは無茶だ。といって丸投げにするのも愚かだ。だったらそのどちらでもなく、わかる範囲だけで何とかすればいい〉。少女は、この「運命」に自分なりに立ち向かうことを決意するのだ。
 ところで、「権三郎狸のいない」世界で暮らす私たちはいったい、何を「わかっている」というのだろう。村の消防団の面々同様に、目の前のことには向き合うが、既に起こってしまったことや、コントロール不能なことにたいして、考え、行動することを放棄してしまってはいないだろうか。あるいは、わけのわからないことを理解できる範囲に収めて、勝手に納得してしまっていることはないだろうか。そこから目を逸らし、無かったことのように振舞っていることは? はじめはそうした生き方を拒否し、自らの頭で考える道を選択した。この小説は、閉じられた「現実」を自分なりに拡張した少女の成長譚である。そして同時に間違いなく、いまを生きる私たちともつながっている物語なのである。

 (かみや・たつお ライター/プロデューサー)

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