書評
2018年4月号掲載
少女マンガの贈り物
――萩尾望都『私の少女マンガ講義』
対象書籍名:『私の少女マンガ講義』
対象著者:萩尾望都
対象書籍ISBN:978-4-10-102981-8
萩尾望都さんに初めてお会いしたのは偶然だった。
書籍編集者だった私が担当していた研究者の方のお祝いの会に、萩尾さんがいらしていた。お召しになっていた着物の色のせいか、月暈(げつうん)のように、ぼうっと輝いているようだった。
正確にいえば、高校生の頃、神保町の三省堂書店で開かれた萩尾さんのサイン会に早朝から並び、サインをしていただいたことがある。握手をお願いしたときのふんわりした柔らかな手に、驚いた。こんなに儚(はかな)げな手を持った人が、圧倒されるばかりの作品を描いているのか。
それから十年以上経っていたが、もちろん私は萩尾作品の愛読者だった。萩尾作品をはじめとする少女マンガを読むことで、自分の精神が守られ、失わずにすんだ――という気持ちは、年を経るごとにより強くなっていた。たんなる比喩ではなく、たとえば「誰でも、その人らしく生きてよい」ということを、作品を通して、萩尾さんは読者である少女たちに手渡してくれたのだと思う。萩尾作品のおかげで、自分は大事な部分を手にしたまま生き延びることができたのだ。
いわば命の恩人である方に、思わぬところでめぐりあった。一生の思い出に、せめて御挨拶だけでも――と、名刺を渡して失礼しようとしたら、
「あちらに席をとっているから、座ってお話ししませんか」
優しい声が、そう言った。
夢見心地で萩尾さんのあとについていくと、ソファにマネジャーの城さんがいらした。座っている萩尾さんのところには、次々に編集者が挨拶にやってくる。どうして自分を誘ってくれたのか、不思議に思いながら、歌舞伎や演劇、ガリレオ・ガリレイの話をした。
「気になる歌舞伎役者はいますか」と尋ねると、踊りの名手、故中村富十郎の名前が返ってきた。『娘道成寺』を観たとき、「聞いたか坊主」の中で、ひときわ目を惹く踊り手がいて、それが富十郎だったのだそう。
「日本には、まだまだ宝物のような人がいますね」
同じく天王寺屋贔屓だった私は大喜びで富十郎の話をして、「それでは歌舞伎見物に」ということになった。
歌舞伎ばかりでなく、京都や雪の八甲田ホテル、伊勢、大阪、奄美大島での皆既日食ツアーなどに誘っていただいた。私の家族も一緒に、沖縄やイタリアを旅したこともある。
と、書くと、なんだか余裕があるようだが、実際はお会いするたびにひどく緊張していた。なんといっても命の恩人に、粗相があっては大変ですから。
十年が経つ頃にようやく緊張もほぐれてきて、「先生、本の企画をたてたいのです」と申し上げて、『夢見るビーズ物語』というコミックエッセイを出すことができた。萩尾さんのビーズ愛にあふれた本で、エドガーの人形、オスカー、メッシュ、フロルとタダの描き下ろしイラストも入っている、オールカラーの楽しい本だ(これは宣伝)。
ちょうど『夢見るビーズ物語』を作っているときに、何度目かのイタリア旅行に御一緒して、家人がフィレンツェ大学の研究者の方々を御紹介する機会があった。そこから村上春樹や吉本ばななのイタリア語訳でも知られる、ジョルジョ・アミトラーノさんに話がつながり、二〇〇九年にナポリ東洋大学とボローニャ大学、そしてローマの日本文化会館で講義をなさることになった。
『私の少女マンガ講義』は、三会場での萩尾さんの講義や質疑応答のほか、創作作法や3・11以降の作品について私が聞き手になったインタビューをまとめた一冊だ。
講義のあとには興味深い質問がイタリアの聴衆から活発に出されたのだが、特に印象的だった女性がいる。
三十代だという彼女は「子ども時代を少女マンガとともに過ごした」と言って、こう続けた。「少女マンガは私たちに強い女性像を示してくれました。たとえば男装しながらも戦っていくこと、あるいは(女性であっても)自分の夢を追求していけること。日本の少女マンガこそが、そういう考え方を私達に与えてくれたことに、心から感謝します」。
ああ、あなたも! と、離れた席にいるその人に駆け寄りたい気持ちだった。少女マンガは日本に特異なメディアで、時代によって、読者である少女とともに変わり続けてきた。本書は、今や国境も越えている少女マンガの「贈り物」について、萩尾さん自身が語った一冊になっている。
(やない・ゆうこ ライター・エディター)