書評・エッセイ

2018年4月号掲載

ノスタルジーを装ったリアル

――藤田宜永『わかって下さい』

芳地隆之

対象書籍名:『わかって下さい』
対象著者:藤田宜永
対象書籍ISBN:978-4-10-119724-1

 六編からなる恋愛小説集だ。
 表題の『わかって下さい』は因幡晃の往年のヒット曲からとっている。主人公の平間聡介は大学卒業後、製紙会社に就職。最後は総務部副部長として定年退職を迎え、六十五歳までは子会社で勤めた。いまは特段やることのない日々を送っている。そんななか、娘のプレゼントで出かけた「青春のフォークソング」というコンサートで、かつての恋人、美奈子と隣り合わせの席になる。二人は結婚を約束したものの、美奈子は唐突にそれを断って姿を消した。それ以来、四十年ぶりの再会である。しかし、彼女は盲目になっており、聡介だとは気づかない。
『観覧車』の小堀孝は小さな出版社を経営している。四十代半ばだが、それなりの財を成した父のおかげで都内のマンションに住む、不自由のない暮らしに、安田千咲という二十代後半の若い女性が現れる。千咲は若き孝に初体験の手ほどきをした年上の女性の娘であった。千咲との出会いによって孝のなかで現在と過去が交錯していく。
 これら物語のBGMとして文中に挿入されるのが冒頭の『わかって下さい』のほか、伊勢正三、太田裕美、オリビア・ニュートン=ジョンやライオネル・リッチーらの作品である。ここで若者とおじさんが同席しているカラオケボックスを想定してほしい。おじさんたちは、むかし懐かしい歌の数々を熱唱し始め、その姿に若い男女は鼻白む光景が目に浮かばないだろうか。カラオケではなく、文学であってもそれは同じ。登場人物のノスタルジーをストーリー仕立てで伝えられても、同じ世代以外の読者の多くは、そっぽを向くに違いない。
 実は私もそうなりかけた(私は若者ではなく、著者とも十年ほどしか離れていないのだが)。舞台設定ができすぎている、とも思ったのである。
 ところが、そこは名うての推理小説作家である著者は、われわれを油断させておいて、その後に二重、三重の仕掛けを施し、ある日ふと立ち上がってきた過去に向かい合う人間の心のさざめきを、表向きは静かに、しかし内面は大きく揺れ動いている様を描く。
 それが俄然リアルなのだ。
「戻りたい場所などないよ。確かだと思っていたことが、全部、実体なんか何にもない幻のようなものだったってことに、最近、気づいたんだ」
『エアギターを抱いた男』に登場するギタリスト、大原史郎の台詞。彼のお気に入りの場所、恵比寿のビル屋上の菜園に足を踏み入れた画家の津田久男との出会いを喜んだ大原はその後、亡くなり、津田は大原の妻である照代に恋心を抱く。しかし、照代も交通事故で命を落とす。
 全編を通して強く印象に残ったのが大原の先の言葉だった。人生の終焉のとば口に差し掛かっているような、諦観を漂わせた主人公たちは、恋をすることで「実体なんか何にもない幻のような」日々にわずかに抗い、生きている実感を少しだけ取り戻そうとする。
 どの作品も、一見ノスタルジーを装いつつ、未来への小さな回路を設定しているのだ。
『土産話』に登場する六十七歳の堀池幸司は、妻の死後、長年思いを寄せ続けていた安堂小夜と添い続ける決心をする。それは、都市銀行を早期退職し関連会社に移って定年という、よくある無風な人生を歩んできた堀池の新たな旅立ちであった。
 若い読者も鼻白んだり、そっぽを向いたりすることなく、作品のもつ世界観に入っていけるだろう。
 日本では未婚率が上がり始めて久しい。それにはいろいろな社会背景があるだろうが、若者は余計な傷を負わないで済むよう恋愛を回避しているようにも見受けられる。そんな彼らがこれらの作品に触れることによって化学反応は生まれるのか。
 登場人物たちへの共感や反発に加えて自分の経験が投影されるかもしれない。そこには、時代に制約されざるをえないものと、時代を超えた本質的なものの両方が浮かび上がるはずだ。
 本作品が異彩を放つか、ノスタルジー的な世界に留まるかは、登場人物とは世代も趣向も違う読者諸氏が、この恋愛小説集をどれだけ自分に引き寄せて読むか、にかかっていると思う。

 (ほうち・たかゆき ノンフィクション作家)

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